通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第4節 戦間期の諸産業

7 大正・昭和前期函館陸上交通

1 函館駅の大改築

函館駅大改築の理由−ターミナル

函館駅構内大改造

昭和13年1月の焼失

函館駅大改築の理由−ターミナル   P549−P550

 函館駅は第1に、青函連絡船に対する旅客、貨物の函館市の窓口であるため、函館市の人口、貨物流動が増大するに連れて、その設備を拡大増強せねばならなくなった。
 第2に、鉄道が北海道内陸部に急速に設置されたことにより、従来、海運及び道路交通に依存していた貨物が、急速に鉄道に集中移転することになった。かくして中継貨物自体が急速に増大し、函館に出入りする貨車自体の量が急速に増大した。この貨車の操車、清掃、点検、修繕のための設備が必要となり、敷地もまた拡充せざるを得なくなる。これは、昭和12年、当時、日支事変と呼ばれた日中戦争開始と共に緊急性を帯びることになる。
 第3に、長輪線開通、道南諸鉄道、軌道網の充実と共に、函館駅は実質的に道南のターミナルとなった。長距離バスの開設がこれを補完する。同時に、この機能が顕在化するのと並行して、駅を中心とする市街、商店街、住宅街が形成され、従って市電、市バス、人力車及びタクシー、荷馬車、荷車類の往来が頻繁となる。ここに駅を中心とするターミナル市街が新たに誕生したのである。西部旧港湾市街と異なる新しい種類の都市形態が生れた。ターミナルこそ都市及び文化を形成するという説(北見俊郎『港湾都市』)の生きた実例が、ここにも存在する。
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