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函館山薬師堂 
内容説明:
ガラス装備 写真1枚 内容:此年宇須岸(箱館の古名)随岸寺大館(今の松前町)に移さるとその縁起の一節は松前景広の新羅之記録に見えたり乃ち「随岸寺之開山嘉峯和尚は若州の人なり商船に乗りて渡る時稚松を鉢に植えて持来る此松大木になり其枝條皆な若州之方を差偃(さしのべ)す肆(かるがゆえ)に思の松と号さる然るに嘉峯和尚遷化之後頓に彼松枯槁し衆人奇異の思を為し嘆の松という粤に随岸寺二世寂峯和尚此枝を切取医王如来の像を造立す此人元来若州の人なり故に遠く若に勧進して御堂を建立す茲に因て枝楽師と云う此御堂之光普くして海上十里か程に輝き渡り漁網を鱗するを得ざるなり枝楽師回禄して只其礎を遺すのみ」とあり以て長禄以前斯の如き由緒あるよりすればその草創の古きを知るべし また「自大沢至黒岩二十二ケ村五十六社年数覚」と題する享保二年の書上に「箱館村薬師堂但し年数六十年七左衛門と申者夢中に観音を見候故堀出し処十二躰有之候由只今はへり候由其後村建立」と見えたり 之れは或は枝楽師の古跡を発掘したるものが更に寛政十二年秦檍丸事村上島之丞の所著「蝦夷島奇観」に曰く「薬師堂山上中腹に在り良道阿闍梨筆記(元和二年七月)に云金銅の薬師仏を七〓躰納めたてまつり天下泰平国土安民河野氏長久永穏を祈り七々日薬師如来法を修業す」とあり按するに良道は河野某か子と見ゆ羽州金沢村泉光院に住職し一度箱館来りし叓を記録す跋に云「元和二年夷則十日以功徳日先考先妣幽霊為成仏得道写了」と記たりとあり或は松前景広に因縁あるものにあらざるか又淡斎如水の「箱館夜話草」に「医王山大明神 箱館山の八分にありすへて箱館山の惣名を薬師と呼ぶ則医王山大明神薬師如来を祭る故なり絶頂を難冠山と云う俗人には御殿山と呼ぶ処なり(中略)此祠は明神の社人用る処にして(中略)毎歳四月八日に祭礼群衆おびただし辺陗若草の頃なれば遊山かてらの参詣にして実に箱館中祭事の第一とせる群衆なり」と記し尚ほ市川十郎の「蝦夷実地検考録」には「医王山明神 祭神大己貴命少彦名命なり箱館山に在り本社拝殿鳥居四基明暦元己未年草創後再営恒祭四月六神職沢辺近江」とあり此明暦の草創とあるは再興の誤りなるへく沢辺近江は今の山の上大神宮神職沢辺の祖なり明治の初年廃仏棄釈の時仏躰を土中に埋めたりと伝う写真は中葉頃のものなり 原資料:ph700503-0007 同一写真:ph000459(裏焼き) 
出版者:
西暦:
和暦:
明治中葉頃
サイズ:
分類:
北海道(函館)
資料番号:
gl000557