通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第7節 教育制度の整備と教職員の動向
2 高等学校の整備

入学志願者の増加と高等学校の新設

函館ラ・サール高等学校の設立

大学区制の採用

大学区制の採用   P551

 高度成長期を特徴づける保守と革新の対決が、高等学校制度のあり方をめぐって、昭和40年に起こっている。高等学校の通学区域のあり方を巡る対立である。新制高等学校の成立以来続いてきた小学区制を、拡大すること、いい換えれば大学区制へ移行させる問題で、文部省の方針に沿って、移行を推し進めようとする道教委とこれに反対する教職員組合などの革新団体との間に、激しい対立を生むこととなったのである。
 道教委は、それまでに、文部省の方針に沿って準備を進めていたが、昭和40年5月15日、高等学校の通学区域を8つの大学区にすることを決定し、公表した。新しい学区は、次の8つである。
 (1)石狩・後志学区 (2)渡島・檜山学区 (3)胆振・日高学区 (4)空知・留萌学区 (5)上川・宗谷学区  (6)網走学区 (7)十勝学区 (8)釧路・根室学区
 これに対し、北海道教職員組合(以下、北教組)をはじめ、革新諸団体は高校間格差の拡大、入試競争の激化、男女差別の強要、父母負担の大幅増大、小中学校の予備校化などの理由をあげ、反対運動を展開した。
 こうした反対のなかで、大学区制は昭和40年6月25日に告示され、41年4月実施となった。大学区制への移行に伴い、「旧制中学時代の有名校志向など学校間の格差が表面化することにもなった」といわれている(前掲『戦後学校教育の五十年』)。
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