通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第7節 教育制度の整備と教職員の動向
2 高等学校の整備

入学志願者の増加と高等学校の新設

函館ラ・サール高等学校の設立

大学区制の採用

函館ラ・サール高等学校の設立   P549−P551

 函館北高等学校の設立に先立つ昭和35年には、函館ラ・サール高等学校が開校した。同校は、キリスト教のラ・サール会の設立にかかる学校である。ラ・サール会では、昭和7(1932)年にカナダから4名の修道士が来函し、学校設立の準備を始めていたが、第2次世界大戦のため実現せず、ラサール会の学校は、昭和25年の鹿児島ラ・サール高等学校の設置を待たなければならなかった。 函館ラ・サール高等学校は、昭和34年に学校法人函館ラ・サール学園の設立が認可され、さらに同年10月、開校が認可され、開校に至ったものである(函館ラ・サール高等学校『創立十周年記念誌』)。
 同校の教育の特色は、「本校の教育方針」に端的に示されているといえよう。それは、

一 本校はカトリックの修道会であるラ・サール会によって、教育基本法に基き創設され維持されている。
二 従って本校の教育は、キリスト教的社会観、人間観に基盤をおく、広く豊かな隣人愛の精神を養う。
三 しかし何人もキリスト教の信仰を強要されることはない。宗教の自由は本校において完全に認められている。生徒 は毎年学校が主催する宗教行事(例えば聖ラ・サールの日、死者の日など)に参加するよう望まれているが、それも生徒の自由意志にゆだねられている。
四 教育の最初の権利と義務は両親にあり、学校は両親の権利と義務の一部をゆだねられて、その使命を遂行する。従って生徒の精神的、肉体的発達を真に実りあらしめるために、学校と家庭との連携は欠けてはならない条件であり、本校の方針の重要な柱である。
五 このような視点に立ち、本校の生徒の一人一人に対し、かれらが高校生としてふさわしい人格と教養とを深める積極的な意欲をもつことを期待しつつ、そのために不断の援助を惜しまない。
六 以上を要約すれば本校は生徒、両親、教師が三者一体となって、生徒の人間形成への努力を継続して行く場であり、 教科、H・R、クラブ活動、生徒会、学校の諸行事などは、すべてこの目的を指向するものなのである。


ラ・サール学園(『函館ラ・サール高等学校20周年記念誌』より)
というものである。近代教育の諸原理に則った教育の方針が貫かれており、私立学校教育のひとつ典型を示しているといえよう。それは、明治以来、全国有数の私立学校教育の伝統を有する函館の地に、特色ある、重要な一要素が、新たに加えられたことを意味するものといえる。
 函館ラ・サール高等学校を創設したラ・サール会はジャン・バチスト・ド・ラ・サールにより創設された修道会で、300年をこえる歴史を有し、世界各地に系列の学校をもち、世界教育史上に確固たる地歩を築いている有力な団体である。創設者のラ・サールは、母国語による教育、一斉教授法の採用、貧困児教育の実践、教師養成のための師範学校の創設など近代的な教育の諸原理を採択した人物とされる。
同校の理想と現状は「その名も北海道はもとより、日本全国に知られるようになりました。世界各国にあるラ・サール系の学校と同様、その名はカトリック系のミッションスクールと高い学力の代名詞となっております。本校の卒業生はラ・サールで培った人のモラルと健全な教育により、よき市民となっているものと思います。私共は単に大学教育に備えるだけでなく、隣人愛にあふれた生徒を育成したいものと願っています。」という、『函館ラ・サール高等学校二十周年記念誌』に載せられた、校長の挨拶に端的に要約されているといえよう。
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