通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第3節 函館の産業経済の変貌
3 イカ珍味の加工産地への転換とその特産地形成

スルメから珍味の時代へ

イカ乾燥珍味加工業の沿革

産地間競争と特産地の確立

加工業者の二極化と再編成

市場・流通の変化と販売対応

労働力条件の変質と労働集約型産業の限界

今後の方向性−経営の二極化と地場勢力の後退−

濡れ珍味加工業の沿革

加工業者の多様さと指導的企業

加工の技術革新と新製品開発

需要と市場対応

持続的成長の課題

加工業者の二極化と再編成   P407−P410

 イカ乾燥珍味加工業における企業数はもっとも多かった40年代初頭で100社をこえていたが、40、50年代における小零細規模層を主体とした加工業者の整理・淘汰ともあいまって昭和60年代では30社前後に集約化されていた。
 これらの企業はその経営規模や企業性格によって4グループに類型化される。それは、第1グループのおもに地場企業の中小下層クラス (売上高で1億から5億円規模、従業員で10人から40人規模)、第2グループの地場企業の中小上層クラスと消費地問屋の支店・工場・子会社(同5億から10億円、同40人から80人)、第3グループの地場企業の大手・中堅クラス(同10億から20億円中心、同60人から180人)、第4グループの最大手クラスの消費地大手問屋系列の製造子会社(同30億から70億円、同100人以上)、から構成されていた。特産組合のアンケート調査に回答した22社は、第1グループが7社、第2グループが7社、第3グループが6社、第4グループが2社といった按分であった。
 こうしたグループごとに企業の動態をみていくと 、第1グループでは各企業とも売上高を横這いもしくはじり貧で推移し、全体に業態の不振・低迷をうかがわせるものになっており、函館における昭和50年代から60年代の停滞性がこれら中小下層の停滞を大きく反映させたものであったこと、またかかる階層の企業により偏在してきたことを物語っている。それに対して第2グループでは各企業とも低成長ながらほぼ安定した売上の伸びを維持しており、第1グループと好対象をみせている。このことは中小クラスの下層と上層で停滞型と成長型に大きく二極化していることをうかがわせる。さらに第3グールプの企業は停滞型と成長型とに大きく二極化している。企業数では停滞型のほうが多いが、それらの業態不振や売上後退が近年の産地停滞の重大な要因のひとつともなっていたのである。趨勢としても、じり貧・停滞的傾向が続いているものと予想され、とくにそれらが函館の加工業の発展を主導してきただけにそこでの停滞性が産地全体に重くのしかかっている。
 そうした一方で企業数ではごく少ないが急成長を遂げている企業もあり、そこには大手消費地問屋や新たな小売担当勢力との密接な関係をうかがうことができる。第4グループではその親会社・同グループの販売力・資本力を背景に強力な生産体制を有し、顕著な売上の伸びをたどっている。うち1社は本格操業してあまり間がないものの、すでに生産額では函館で第3位の実績をあげており、また函館で最大手の加工業者となるもう1社も急激に売上高を伸ばしており、両社を合わせた生産シェアは地区全体の30パーセント前後にのぼるものと推定され、今後もその比率を増していくものと思われる。こうした大手問屋系企業の展開が函館の加工業の生産後退に対する重大な歯止めとなってきたと評価しなければならないが、反面においてそのことが、加工業における既存領域の侵食につながってその地盤沈下の原因ともなっていることにも注目しなければならない。
 全体として函館の企業は停滞型と成長型とに大きく二極化しつつあるが、傾向としては停滞型の企業に中小下層や大手・中堅層の地場系企業が多いことに対し、成長型には中小上層や大手・中堅層の消費地問屋との系列・取引関係を有する企業に多いことが指摘される。そうした企業の二極化傾向は今後とも強められる方向にあり、それに伴って停滞型、とくに中小下層の企業では今後予想される経営環境の変化や劣化のもとで、かなり厳しい展開を迫られていくものと予想される。
 こうした企業の動態において重大な規定的要因となっているのが消費地の大手問屋による産地インテグレション(垂直統合)の強化であった。それは(1)産地加工業者に対する系列化の進行、(2)消費地工程(包装など)の産地転嫁、(3)製造・包装部門の産地移転、などとして促進されているものである。(1)については、函館の場合、大手問屋と特定の加工業者との結び付きやダルマ加工業者における大手問屋による系列化などとして指摘される。さらに(2)および(3)については大都市地域における加工・包装機能の遂行の困難化を背景に進められているものであり、とくにそれは好景気や量販店・コンビニエンス・ストアとの取引の強化による需要増に伴って自社の加工能力とのギャップを発生させていること、その一方において大都市地域における人手不足の深刻化、コストの上昇によって対応力の低下と消費地立地の限界が現れてきていることなどの理由による。そうした隘路の打開の方策が、(2)のような取引関係にある産地の加工業者に対する小袋詰めの要請・転嫁であったのであり、また(3)のような求人の容易な、また労賃・地価の低廉な地方・産地への工場進出や現地子会社の設立などによる加工部門の移転であったのである。大手問屋層による函館への加工移転・進出についてみると、最大手2社をはじめとして多くの消費地問屋の工場・子会社がすでに立地している。その結果としてそれらの進出組は函館の製品生産においてかなり大きなシェアを占めるに至っており、また最大手層の問屋においては函館に強力な加工拠点と協力・下請体制を造りあげつつあることが指摘される。こうした産地インテグレションの進行は従来までの産地と消費地の間に、また加工業者と問屋の間における分業構造を大きく変えつつあり、そのなかでとくに産地(加工業者)サイドと消費地(問屋)との間で取引を媒介として形成されてきた垂直的分業関係は大きく後退し、消費地問屋による産地加工分野への参入強化と加工業者の選別化・下請系列化などの直接掌握が急速に進みつつあることが指摘される。さらにそれらの事態が地場産業として形成されてきた函館の加工業の性格を大きく変質させてきていることに注目される。
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