通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第3節 函館の産業経済の変貌
3 イカ珍味の加工産地への転換とその特産地形成

スルメから珍味の時代へ

イカ乾燥珍味加工業の沿革

産地間競争と特産地の確立

加工業者の二極化と再編成

市場・流通の変化と販売対応

労働力条件の変質と労働集約型産業の限界

今後の方向性−経営の二極化と地場勢力の後退−

濡れ珍味加工業の沿革

加工業者の多様さと指導的企業

加工の技術革新と新製品開発

需要と市場対応

持続的成長の課題

産地間競争と特産地の確立   P406−P407

 イカ乾燥珍味の加工業は基本的に産地と消費地との分業システムによって成立しており、そのなかで産地の加工業者は大袋詰めもしくはダルマといった半製品形態で消費地に出荷し、消費地の問屋や小袋詰業者はそれを最終製品に仕立てて販売に供してきた。それに伴って産地と消費地の間には原料となる半製品(大袋詰め、ダルマ)の市場が形成されてきた。そうした市場の供給を担ってきたのが函館地区を始めとした八戸地区(青森県)や大畑地区(同)などのイカ珍味産地であり、原料市場をめぐっては産地間の激しい競争が展開されてきた。なかでも先発産地の函館地区は後発の八戸地区(青森県)や大畑地区(同)に追いあげられる形で40年代から50年代にかけて熾烈な競争を強いられていた。八戸地区では30年代末からおもにさきイカの加工形成が進められ、40年代初頭にはすでに函館地区に迫る生産高をあげていたからである。他方の大畑地区でも40年代中盤からダルマに主体をおいた加工形成が進められ、50年代初頭には大規模な団地形成によってダルマ加工の最大産地ともなっていたからである(中居裕『水産物市場と産地の機能展開』、以下の記述も断りのない限り同書による)。
 しかし、こうした産地間競争は競合2地区における産地凋落によって50年代なかばまでに終焉していった。それは、50年代前半から急速に顕在化してきたイカ乾燥珍味市場の縮減が原料市場における過剰供給性や過当競争を招いて産地や加工の環境を急激に流動化させていたからである。八戸地区についてはイカ乾燥珍味加工からの撤退とそれに伴う生産の大幅縮減を招いていたと共に大畑地区についても昭和50年代前半での性急かつタイミングを欠いた団地形成の失敗から壊滅的な打撃を受ける形で産地そのものの崩壊を招いていたからであった。しかもその影響がダルマに関係した産地や加工業者により集中的に現出し、それが大畑地区における加工団地組合をはじめとした函館地区や八戸地区におけるダルマ専業加工業者の大型倒産といった悲劇的な方向で顕在化していたのであった。つまるところ製品市場の縮小および原料市場の供給過剰が後発の2産地とダルマの加工により吸収させる方向で調整され、それによって函館地区はイカ珍味加工の産地として存続できたのであり、結果としてその特産地としての地位を確立しえたのであった。
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