通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第5節 教育制度の改革と戦後教育の諸問題
1 占領期第1期の教育(昭和20年8月−23年)

平時教育への転換

戦時教育体制の払拭

教育改革の構想とその実現

6・3・3制の実施

カリキュラム改造運動

社会教育の新たな出発

教員組合の結成

教育改革の構想とその実現   P238−P239

 戦後日本の教育の方向を示したのは、昭和21年3月に来日した米国教育使節団の報告書であった。報告書は、それまでの日本の教育の欠陥として、中央集権的な教育制度、複線的学校制度、官僚支配、画一性、極端な国家主義などを指摘していた。
 こうした欠陥を克服して新たに築かれるべき教育として、報告書は、個人の価値と尊厳の認識を基本とする民主的な教育制度、教科書国定制度の廃止、教育委員会制度、6・3・3の学校制度、男女共学などを提案していた。戦後の教育は、この報告書の提案を参考に改革の歩みを始めることとなるのである。
 戦後の教育改革は、米国教育使節団報告書の勧告を参考に、教育刷新委員会において審議され、具体的に制度化されることとなる。教育刷新委員会は、戦後の教育改革に関する重要事項を調査審議するために、内閣総理大臣の諮問機関として、昭和21年8月10日設置された。米国教育使節団に協力する日本側教育家の委員会が改組され、拡充されて成立したものである。同委員会は、とくに学校制度の面に単線型の民主的な制度を提起したことが注目される。すなわち、国民学校初等科に続く教育機関として、修業年限3か年の中学校を置くこと、中学校は義務制とし、男女共学にすること、国民学校初等科に続く学校としては、この中学校のみとすることなどを提案している。中学校に続く教育機関として、3年の高等学校が提案されている。教育刷新委員会の建議に基づいて、教育基本法、学校教育法、教育委員会法などが制定され、戦後の教育改革が実施段階を迎えることとなる。
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