通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第5節 教育制度の改革と戦後教育の諸問題
1 占領期第1期の教育(昭和20年8月−23年)

平時教育への転換

戦時教育体制の払拭

教育改革の構想とその実現

6・3・3制の実施

カリキュラム改造運動

社会教育の新たな出発

教員組合の結成

戦時教育体制の払拭   P236−P238

 文部省は敗戦から1か月後の昭和20年9月15日、「新日本建設ノ教育方針」によって、戦時体制を一掃すること、文化国家、道義国家建設の根基を培うこととした。具体的には、「国体の護持」、「軍国的思想及施策ヲ一掃」、「科学的思考力」などを含む「新教育ノ方針」、「学徒隊ノ組織ヲ廃シ」・「軍国教育ハ之ヲ全廃」するなどを明らかにした「教育態勢」、「差当リ訂正削除スベキ部分ヲ指示」する「教科書」の問題など、8項目にわたって教育方針を示していたが、十分に指導力を発揮できるものではなかった。
 一方、占領軍は昭和20年10月以降12月までの期間に、次々と指令を発し、教育の非軍事化、民主化を推進した。(1)「日本教育制度ニ対スル管理政策」、(2)「教員及ビ教育関係官ノ調査、除外、認可ニ関スル件」、(3)「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」、(4)「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」の4つの指令である。
 これらの指令に基づく諸施策のうちでも、とくに教育界に大きな影響を及ぼしたのが、「教職員適格審査」である。昭和21年5月7日、勅令第263号「教職員ノ除去、就職禁止及復職ノ件」が公布され、同日付け文部省令「『教職員ノ除去、就職禁止及復職等ニ関スル件』ノ施行ニ関スル件」が発せられ、教職員の適格審査の実施態勢が整えられている。同日付け文部省訓令第5号「教職員ノ適格審査ヲスル委員会ニ関スル件」により「適格審査委員会」が設置され、審査が実施に移されていく。
 北海道では、昭和21年6月25日付け北海道庁告示第434号「北海道教員適格審査委員会規程」により、教員代表および各界代表から成る教員適格審査委員会が発足した。文部省の意向に沿って、北海道でも審査業務の早い終結をめざして、審査の進捗がはかられたようである。審査の結果、適格と判定された者の通知は、国民学校などの学校については、各支庁長、市長がおこなうこととされていた(前掲『北海道教育史』戦後編1)。
 函館市では、昭和21年8月以降、22年3月にかけて、適格審査の進行を伝える記事が学校の日誌に現れる。
 若松国民学校では、「教職員適格審査表教育課ヘ送付」(昭和21年8月28日)を初出とし、同年12月4日には、「校長協議会内容ニツイテ説明」として、「適格審査ヤリ直シ」の件が記録されている。断片的な記録からでも、適格審査の進行が読み取れる。同校の日誌は、昭和22年2月23日付け、市役所より「校長、教頭適格審査合格ノ通知アリ」という記事を最後に、この件についての記録はみられなくなるので、ほぼこの頃に審査が終了したものと思われる。占領軍の指令をきっかけに、教育の非軍事化の施策が教職員の人事面に具体化したことを、学校現場の記録が伝えているのである。なお、「適格審査ヤリ直シ」というのは、一旦適格とされた者について、再審査が求められたことを物語る記事であろうと思われる。
 また、これらの文部省の方針やGHQの指令によって、軍国主義・国家主義・国家神道に基づく思想・教育の学校現場からの徹底的な排除が実施された。昭和20年度の青柳国民学校の「学校日誌」(辻喜久子「国民学校のこどもたち−昭和二十年度青柳国民学校日誌−」『地域史研究はこだて』第10号参照)には、10月8日の市役所よりの教科書取扱に関する通知をはじめ、翌21年1月には「御真影」の撤去についての電話連絡、同月12日には北海道内務部から軍国主義教育にかかわる薙刀や木刀、掛図、参考書などの教材・器具の除去や神棚の除去、「修身・日本歴史・地理」の授業停止が伝えられたなどの記事がみえる。生徒たちは軍国用語が墨により抹消された、いわゆる「墨塗りの教科書」での授業を余儀なくされたのである。
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