通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第4節 敗戦後の社会問題と労働運動
1 困窮する市民

欠乏生活の諸相

生活を支える辛酸

会保障制度の確立

引揚者をめぐって

生活を支える辛酸   P217−P218

 戦火のなかに一家の働き手を失った家族にとって敗戦後の混乱した社会状況は、あまりにも苛酷なものであった。売春稼業に携わるほかに、生計を立てる方途がない女性が目立つありさまとなるのであった。GHQの指示による公娼制の廃止(昭和21年1月)、「函館市風紀取締条例」の制定(昭和24年11月)、売春防止法の制定(昭和31年5月、施行は昭和33年4月)というように制度的な取締りの体制が厳しくなっても「夜の女」、「辻姫」と呼ばれるような稼業はなかなか根絶しなかった。彼女たちの保護、更生の施策が充実してくるまでかなりの年月を要したのであった(第7編コラム3参照)。
 売春稼業をめぐる人身売買事件も繰り返されていた。社会福祉協議会・青少年善導連盟では「人身売買事例発表会」を催して問題提起をしていた。 昭和27年5月5日から17日の青少年保護育成運動期間中だけで人身売買事件として検挙、送検となった事件は28件(被害者52名)、事件に至った事情は、やはり家庭の貧困であった。「貧なるが故の身売りというのが大半を占めている」といわれていた(昭和27年5月18日付け「道新」)。松風小学校3年生の女の子が「浜松市へ売られて行くらしい」という事件もあった。雑品屋(廃品回収業)の貧しい生活につけ込んで「芸妓見習」に紹介すると称して1万5000円を渡して小学生を買い取ろうとした事件で、学校の先生が転校届に不審を抱いたことから発覚、救助されたのだった(昭和27年3月2日付け「道新」)。
 人身売買事件は、売春稼業に関係するものばかりではなかった。「鐘の鳴る丘」建設を語って東京の「浮浪児」を真狩村に集めたが、逃走したと称して36人もの児童が行方不明となっていた。「鐘の鳴る丘」は、菊田一夫の脚本によるラジオドラマで、戦火孤児たちの集まる施設での共同生活を描いた物語であった。逃走は偽りで、じつは、農家などの里子に出すという形をとって金銭の授受のあった人身売買事件らしいというのであった。空知方面の「富裕農家」には1、2名の「年少者の農奴」がいるらしいというのであった(昭和24年2月23日付け「道新」)。この年の3月、函館市でも、各学校で「人身売買の取締について」という調査がおこなわれていた(北海道函館中部高等学校蔵「昭和二十三年度 教務保管書類」)。「農漁村及接客業に於ける人身売買」について長期欠席者や中途退学者のなかに、この件に関係あると思われる場合について報告を求めているもので、「家事に使用されている者、工場に出ている場合、長期奉公している場合等」について調査するように、ということであった。この時の調査結果は不明であるが、長欠児童の問題については、第1章第5節を参照されたい。敗戦直後の社会状況下で働き手の不足を「青少年の農奴」のような形で補おうとする場合があって、社会的問題となっていたのである。
  「農奴」的とは異なるが家計補助のための児童労働も問題となっていた。イカ釣りに就業する小中学生の問題が、その代表的なものであり、夜の盛り場でスズラン売りをする子供たちの問題もしばしばとりあげられていた(第7編コラム12参照)。売春稼業、人身売買、児童労働の問題は、取締り、禁止を厳重におこなうということだけでは、解消へ向かうことがなかった。
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