通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第2節 地方自治の民主化と市政
1 第22回衆議院議員選挙と函館の対応

民主化に着手

衆議院議員選挙法の改正

政党の復活

婦人参政権問題

乱立する候補者

選挙結果と函館

民主化に着手   P113−P114

 アメリカ軍の函館進駐がおこなわれた昭和20(1945)年10月4日、GHQは東久邇宮稔彦内閣に、ポツダム宣言の「民主的傾向の復活・強化」を求める「政治的、公民的および宗教の自由に対する制限の除去に関する総司令部覚書」を発した。この覚書は、(1)政治犯の即時釈放、(2)思想警察その他一切の類似機関の廃止、(3)内務大臣および警察関係の首脳部、その他日本全国の思想警察および弾圧活動に関係ある官吏の罷免、(4)市民の自由を弾圧する一切の法規の廃止ないしは停止を日本政府に要求するいわゆる「民主化指令」であった。しかし、翌日覚書は実行不可能として内閣は総辞職を決定し、10月9日、連合国軍最高司令官マッカーサーにより就任を了承された幣原喜重郎が内閣を組閣し、政務を遂行することとなった。11日、幣原首相はマッカーサーから、ポツダム宣言の実行に当っては日本国民を隷属させてきた伝統的社会秩序の是正と日本憲法の自由主義化の必要性を示唆され、ついで「先づ日本国民は国民の心理を事実上隷属状態に置く日常生活に対する凡ゆる形式の政府の秘密諮問から解放せられ、思想の自由、言論の自由乃至信教の自由を弾圧することを目的とする凡ゆる様式の統制から解放されることを必要とする。出来るだけ速やかに日本の社会秩序について次の諸改革を貴下に期待する」と告げられた。具体的には、(1)婦人参政権による日本女性の解放、(2)労働組合の結成奨励、(3)学校教育の自由主義化・民主化、(4)秘密的弾圧機構の撤廃、(5)経済諸機構の民主主義化のいわゆる五大改革の実施を期待する旨の見解が表明された(昭和20年10月12日付け「道新」)。
 「北海道新聞」は、13日に「近衛文麿公中心に憲法改正を御下命」との見出しのなかで、11日にマッカーサー司令官が幣原首相へ示した見解は、「正しく日本の民主主義化のために憲法改正の必要を指摘したものといへる」とコメントした。10月10日、幣原首相は、約3000人の政治犯の釈放を皮切りに、国防保安法・言論出版集会結社等臨時取締法、治安維持法、治安警察法などの廃止や帝国陸海軍両省の廃止など五大改革の実施と憲法の改正調査に取り組んでいった。
 一方この間、GHQには11月1日に、基本的には9月22日の「初期方針」の民主化措置を再確認する「日本占領及び管理のための連合国最高司令官に対する降伏後における初期の基本的指令」が発せられていた(第1章第1節参照)。日本の占領と管理全般にわたる指令であるが、第1部「一般および政治」のなかで、(1)軍国主義・超国家主義イデオロギーの禁止、国家神道への財政援助の禁止、(2)検閲の実施、(3)政党政治団体政治結社を即時統制の下に置き不適切なものの廃止、地方政府の早い自由な選挙、(4)労働、産業、農業における民主主義的団体の奨励、(5)信教の自由の宣言を掲げた第9項「政治活動」が日本の民主化推進への具体的な指針であった。なお、この「初期基本指令」は日本側に3年間秘密にされた(セオドア・コーエン『日本占領革命』上)。
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