通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第1節 連合国軍の函館進駐
6 GHQの公職追放と民主化への啓蒙

函館市・渡島・檜山管内の公職追放者

GHQの婦人参政権キャンペーンと地方自治講習会

GHQの婦人参政権キャンペーンと地方自治講習会   P111−P112

 昭和21年1月21日付けの「北海道新聞」に、「関心の薄い婦人参政権 啓蒙運動に連合軍当局も協力」と題する見出しの記事がある。その趣旨は、日本の敗戦によって女性にも参政権が与えられ、まもなく4月の総選挙実施を控えているにも関わらず、日本政府はこうした婦人参政権の問題に「冷淡」であり、また婦人の政治教育にも「無関心の如く見える」。そこで19日に、GHQは婦人参政権に関する記者会見を東京で開き、この問題の重要性をキャンペーンしたというものである。
 この会見では、民間情報教育部のウイーク中尉が司会をつとめ、女性看護部隊所属アウト少佐、ウィット中尉の2名の女性将校やカリフォルニア州選出の代議士スオープ海軍中佐が出席し、熱心に意見交換をおこなった。日本の人口調査の結果から女性が男性よりも260万人も多いこと、したがって「民主主義的な日本を作り上げるために婦人の果す役割がさらに重要となり、選挙日までのよい教育期間が与へられた全日本の女性が来るべき総選挙で投票して大多数が当選すれば、諸外国の尊敬を得るに相違ない」という。さらに、こうした婦人の政治教育を高めるために、ラジオ・雑誌の利用、全国の婦人教員が教壇から呼びかけることなどのほか、「連合軍としても希望なら各地駐屯部隊所属の軍政部員を大いに協力させ、講演や講習会に出席して貰つても差支えない」といった提案がなされている。
表1−10 自治講習会講演内容
講演者
題目
チルトン 代議政治について
ノーラン 知事の職務権限
ポーター 立法府の職務権限
マツクリーン 行政機能並びに責任
ハリス少佐 地方公共団体の委員会制度について
『北海道連絡調整事務局半月報』昭和23年9月より作成
 この婦人参政権の日本国内への普及にかけるGHQの姿勢をみても明らかなように、彼等は日本を、民主主義国家に改造しようという使命感を持っていた。その際に、婦人参政権の問題などと共に重視されたのが地方自治と労働運動問題であった。これらに関し、昭和23年9月25日から27日まで札幌市で開かれた自治講習会には、新任のウイリアムス軍政部長の要請もあって第八軍民政局のチルトン法制課長以下が協力し、第1日目に図1−1のような内容の講演をおこなった。2日目以降は、参加者を100名程度の5グループに分けて討論会をおこなうと共に、最後の3日目には、「北海道で最初に試みて見るものとして、道庁職員少量づつを集めての討論がおこなわれ」、ウイリアムス軍政部長はその成果に満足の意を現した。ただ、来道中のGHQ労働課のデヴエラル教育班長が、9月10日の帰京に当たって、北海道の労働組合は「民主化が未だ不完全である」と述べている。その理由として、組合の常任役員で会社側から給与の支給を受けている者が多いことを指摘し、その弊害を改めるべきことを説くと共に、外国の労働慣行を研究して、組合を「民主的労働組合の基本型と一致させるべきである」と強調した(『北海道連絡調整事務局半月報』昭和23年9月)。

大森小学校で開催された「地方自治に関する講演会と討論会」(『函館市公報』第52号より、円内はチルトン)
 なお、この自治講習会開催1年後の昭和24年8月22、23日に、函館市でも前記チルトン法制課長らが講師となって「地方自治講演会」が開かれた(第1章第2節2参照)。
 また、地方自治にも関心を寄せる北海道軍政部は、、昭和23年3月月に民政部の係官を開催中の北海道会に派遣し、傍聴させることを検討していた(『北海道連絡調整事務局半月報』昭和23年9月、昭和23年『三月上半期執務報告』)。実際、北海道議会の傍聴席の一角には、対日講和条約発効の昭和27年まで続き、アメリカ軍将校と日本人通訳のペアがいて、暗黙の圧力となっていたという。
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