通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第1節 連合国軍の函館進駐
6 GHQの公職追放と民主化への啓蒙

函館市・渡島・檜山管内の公職追放者

GHQの婦人参政権キャンペーンと地方自治講習会

函館市・渡島・檜山管内の公職追放者   P107−P110

 日本の非軍事化と民主化の実現を目指して、GHQは日本陸・海軍の武装解除と解体、秘密警察の解散、軍幹部および軍国主義者の拘束・公職追放・教育からの軍国主義の除去といったさまざまな政策を日本政府に指令したが、昭和21年1月4日には「公務従事に適せざる人物の公職からの除去に関する覚書」と「政党、政治結社、協会およびその他の団体の廃止に関する覚書」、いわゆる公職追放令を日本政府に示し、政界・財界に大きなショツクを与えた。GHQは、追放の対象を同年11月からは地方の公職と政党指導者、経済界・言論界の役職者にまで拡大させ(第2次公職追放)、その該当者は昭和23年半ばまでに全国で約21万人に達した(歴史学研究会編『日本同時代史』1 敗戦と占領)。
 この第2次公職追放について、昭和21年11月10日付けの「北海道新聞」は、「函館の公職追放者 町会関係者が甚大 全市一斉再選挙を執行か」との見出しで次のように報じた。

 函館市の戦争責任者公職追放は町会関係者が最も甚大で全五十九町会部落会長中三十五町会長がこれに該当するものと予想される。一月四日の追放令後当市では三月一日に改選を行つてゐるが、この三・一改選が更新の実を挙げず左記町会を除く三十五町会長の留任といふ結果を示したので、近く成年者による普通選挙によつて再改選しなければならぬわけである。
 タナゴマ、大町仲町、末広、西川、恵比須、会所、曙汐見、蓬莱、宝、東川、松風、千歳、大縄、海岸、松川、北浜、千代ヶ岱、高盛、宇賀浦、時任、五稜郭(以上は九月二日以後の新会長であるから抵触せず)
 この場合、この抵触しない関係町会をも含めた全市一斉の再改選を行ふか抵触する関係町会のみを行ふかは未定であるが、この際自治的に各部長をも含めた一大更新を図るべきであるとの世論が強い。追放適用必至とみられてゐる町会長で、市会議員を奉職してゐるものが四名、他にG項該当者と目されるもの一名ゐるので、それが決定すれば市会に又五ツの穴があき三十七が更に三十二となり、定員四十四名中十二名の大量欠員となる。大体今次追放が指向するところは、地方選挙を通じて地方行政機構を戦争に表面的に関係のない民主的人材によつて整へ、新憲法の精神に副ふ自治体を形成する点で、市でも近く市長指名による審査機関が設立されるが、一切はここで慎重調査されるのである。十二名の欠員を持つ現函館市会の市議資格審査は、今から審議機関の枢要問題になるであらうと予想されてゐるが、現函館市会議員選挙に際し、当時翼賛会支部の肝煎りで函館翼賛市会建設連盟を設立、市会の翼賛議員一色を企画、強力な干渉運動を展開したが、現にその推薦議委員が三十七の席のうち二十七といふ大半を占めてゐる。これは当然追放されるものと予想されるが、さうなれば道議戦の下馬評にのつてゐる二、三もその中に含まれてをり出馬不能となり、市議道議両選挙とも意外の番狂せを生ずることになる。
 翼賛会、翼荘関係追放も四、五あるが、これにより当市の戦争責任者は全面的に公職から後退し、民主政治の基盤である自治体の完成へ清新強力の再発足をすることになるわけで、国政へ参与する新しい愛国の熱情に燃えた新人の息吹きがもう聞えてゐる。

 長い引用となったが、この記事の見出しにもあるように、函館市では町会関係の公職追放者がもっとも多いことがわかる。そして、この第2次公職追放によって、函館市の「戦争責任者は全面的に公職から後退」するという。
 なお、この記事におけるG項該当者とは、同年1月4日の「公務従事に適せざる人物の公職からの除去に関する覚書」の付属書で、追放の対象となるべき人物が、A戦争犯罪人、B職業陸海軍人、C極端なる国家主義的団体・暴力主義的団体または秘密愛国団体の有力分子、D大政翼賛会・翼賛政治会・大日本政治会の有力分子、E日本の膨張に関係せる金融・開発機関の役員、F占領地の行政長官、Gその他の軍国主義者および極端なる国家主義者、という7種類に規定されていたことによる。この分類にみられるように、G項該当者とは、A項からF項に当てはまらない「その他」の関係者というやや曖昧な規定であり、このG項の規定を厳密に適用するならば、その対象人物は極めて広範囲なものとなったに違いない。ここでは、函館市の町会長という極めて限定した範囲でのG項対象者であるが、それにしてもわずか1名というのも、やや少な過ぎる印象は否めない。
 また、函館市以外の道南地方では、渡島管内の場合は木古内・尻岸内・銭亀沢の3町村を除くすべてが一応この公職追放に抵触し、檜山管内では久遠村を除く12町村長が抵触すること、そして、該当しなくても今回一応退職して公選されるので全部の町村長が一新され、地方政治にとっては、画期的な地方行政の民主化が実現するとも報じられている。
 この第2次公職追放について、翌11月11日付けの「北海道新聞」は「市町村長助役の追放五百名 本道の該当者」と報じた。それによれば、この第2次公職追放は1月4日の「覚書」付属書におけるC・D・G項の適用範囲の拡大、昭和20年9月2日以前より市町村長、同助役、町内会・部落会の会長職にあったものにまで及び、「予想外の拡大を見、深刻な影響を与へてゐる」という。そして、この第2次公職追放で北海道に関連するのは、道内272市町村長・助役の約85パーセントにあたる500余人、町内会・部落会長では全道1万304の町内会・部落会の半数に当たる5000余人とみられること、このほかに現職の道会議員・市町村会議員などにも「相当数の該当者」があるとみられることから、その総数は約6000人に及ぶと推定されるという。11月9日の段階で判明している該当者は、D項該当が足立実旭川市長・近田留四郎夕張市長・川村芳次岩見沢市長であり、昨年9月2日以前からの市長在職者には、上原六郎札幌市長・福岡幸吉小樽市長の名前が上がっている(昭和21年11月11日付け「道新」)。函館市関連の公職追放者について全容は明らかではないが、登坂良作市長や、日魯漁業(株)の社長以下、取締役専務らが追放された(岡本信男編『日魯漁業経営史』)。
 これらの公職追放に該当する町会長の問題について、函館市では昭和21年11月13日に市内35町会・部落会長会議が市役所で開かれ、辞表の提出と新会長の選出方法について協議した。その結果、辞表は追放に関する勅令や省令が公布されてから一斉に提出することにした。そして、新会長の選出方法も、これらの勅令・省令の公布後に再び会議を開いて決定することになった(昭和21年11月16日付け「道新」)。
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