通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第1節 連合国軍の函館進駐
4 函館引揚援護局の設置と日本人の集団引揚げ

引揚者受入官庁の設置

函館引揚援護局の開設と諸施設

函館引揚援護局の組織

樺太・千島からの引揚げ状況

引揚者の概況とその内訳

朝鮮人の帰国業務

樺太・千島からの引揚げ状況   P98−P99

 函館援護局が担当した樺太・千島地区からの引揚業務が本格的に開始されるのは、援護局が設置されて1年後の21年12月からである。この第1次引揚げには、大隅丸(1284トン)・雲仙丸(3140トン)・新興丸(2577トン)・白龍丸(3181トン)の4隻が使用された。最初の予定では、樺太からの引揚者1059名を乗せた第1船として大隅丸が12月5日に函館入港の予定であったが、同船は利尻島沖を航行中に機関が故障し、修理のため小樽港に寄港することになった(昭和21年12月5日付け「道新」)。このため、第2船であった雲仙丸が第1船となり、12月5日の午後6時29分函館港に入港した。12月6日付けの「北海道新聞」は、「安著の歓声湧く雲仙丸」との見出しで、雲仙丸の大きな写真と共に次のように報じた。

引揚第1船の入港記事(昭和21年12月6日付け「道新」)

 静かにふけてゆく夜の海面にぽつかりと夢の如く浮ぶ巨船−夜目にもくつきりと白十字のマークが印され、UO一四のナンバーが引揚第一船の晴れの記録をとどめる。樺太帰還第一船雲仙丸は五日午後六時二十九分函館港外七重浜約一千米の沖合に投錨停泊した。
 明るく船燈のかがやく甲板には引揚げの人々が寝もやらず寒さにもめげずはるかまたたく港の灯を感動こめて凝視し、いまついた故郷の感慨にひたり、故郷への思ひを馳せてゐる、走りまわる警備のランチにも両手を振り歓声をあげ故国の港に入つたよろこびを告げるのだ。
 王子製紙真岡工場長倉池喜八氏を団長とする男女子供一千九百二十八名、本斗、真岡、大泊、落合、恵須取、豊原と千島の引揚者第一陣はいま帰つてきた。瞼にえがく故山の姿をいま眼のあたりみて感激の一夜を仮寝の夢に結び上陸の日を待つてゐるのだ。

 その後、12月7日に第2船白龍丸、第3船新興丸が、また8日に大隅丸がそれぞれ函館に入港した。雲仙丸の引揚者の上陸は12月10日から開始されたが(昭和21年12月10日付け「道新」)、これが函館援護局における最初の上陸者となった。
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