通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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序章 戦後の函館、その激動の歴史と市民
第1節 混乱から復興へ

戦争による大きな惨禍

「玉音放送」と函館市民

占領軍の上陸と函館市民の生活

引揚者の窓口

人口の急増

あいつぐ民主化政策

天皇の「人間宣言」と「日本国憲法」の公布

食糧難と失業問題

市民の命を支えたスルメイカ

北洋漁業の再開と「北洋博」

復興期の函館経済の諸相

天皇の「人間宣言」と「日本国憲法」の公布   P20−P22

 「民主化」の動向はその後もとどまることかなかった。21年1月1日、天皇自らの神格を否定するいわゆる「人間宣言」と呼ばれる詔書を発表した。この詔書は同年1月1日付けの全国の各新聞に「天皇の年頭詔書」として掲載されたが、「北海道新聞」は、「朕、国民と共に在り。元旦とくに詔書賜ふ。誓新に国運開かん」との見出しでこの「詔書」を掲載している。
 冒頭に明治天皇の「五か条の御誓文」を掲げ、この趣旨により新日本を建設するとしたうえで、天皇と国民とは信頼と敬愛で結ばれているとして天皇の神格を否定することを述べたものであるが、この天皇の「人間宣言」のなかには、天皇の神格を否定すると同時に天皇を国民の「象徴」とするニュアンスが含まれていた。それも当然で、この詔書は天皇を戦犯として訴追せず、天皇を日本国民の「象徴」として残すことを前提にしたGHQの意を受けて英文で起草したものを日本語に訳したものであったからである。ついで21年1月4日、GHQは軍国主義者の公職追放と超国家主義団体の解散を指令した。将校以上の旧軍人はいうまでもなく、戦時中、東条内閣の翼賛選挙によって推薦を受けた議員、右翼団体の幹部、中央官庁の局長クラス以上の官僚、国策会社や国立銀行の重役などは、ことごとく追放の対象となった。その結果、旧翼賛議員を中心とした進歩党をはじめ、日本自由党、中間派小政党の日本協同党の議員のうち多くの議員が追放され、日本社会党にあっても、17名中11名が追放該当者となった。貴族院でもこの影響を受けて150名弱の議員が辞職した。こうして21年は政界・官界ともに混乱状態に陥ったが、こうしたなかで同年4月10日、戦後最初の総選挙が実施されたのである。なおこの選挙と同じ年6月16日に実施された「函館市長の公選」も注目すべき選挙であったが、これについては第1章第2節に詳述されているとおりである。
 ついで21年11月3日、「日本国憲法」が公布された(翌22年5月3日施行)。この新憲法の内容は、すでによく知られているように、それまでの「大日本帝国憲法」(いわゆる「明治憲法」)とは根本的に異なるものであった。新憲法は前文と103条で構成されているが、前文は日本国民が主権者であるという立場から憲法の基本原則を宣言し、第1章天皇では、明治憲法で規定していた天皇の統治権を否定して、天皇を「日本国の象徴」・「日本国民統合の象徴」とし、ついで第2章第9条で「戦争の放棄」と「軍備及び交戦権の否認」を宣言し、第3章で「国民の権利及び義務」、第4章で「国会」、第5章で「内閣」、第6章で「司法」、第7章で「財政」、第8章で「地方自治」、第9章で「憲法改正の手続」について規定し、第10章では、この憲法が「国の最高法規」であることを規定して、全体として主権在民・基本的人権の尊重・平和主義を3大原則とする内容である。
 11月3日付けの「北海道新聞」は1面トップで「日本国憲法けふ公布」との見出しで新憲法の公布を報じた。
 ところで11月3日には全国各地で「日本国憲法」の公布を祝う各種の行事かおこなわれたが、函館市でも同日午前10時から市民球場(現潮見中学校敷地)で記念祝賀式がおこなわれた。参加者は約1万2000人。祝賀式ではまず坂本森一市長が「平和と民主の新憲法がいよいよ公布された。この歴史的な日は我々が新憲法を責任と自覚の下、実行に出発する日である」と式辞を述べ、ついで市民を代表して山崎松次郎市会議長が祝辞を述べた後、坂本市長の発声で「日本国万歳」を三唱して祝賀式を終えた。祝賀式終了後、式典に参加した市内の中等学校生徒、国民学校の児童約9000人がただちに旗行列行進に移り、式場から護国神社坂を経て各学校に向かった。したがって記念祝賀式に参加した人びとの約75パーセントは市内中等学校生徒と国民学校の児童であったことになる。一方記念式典に参加しなかった児童生徒たちも校舎を中心に通学区域を練り歩き、各団体・町会ごとの旗行列と合流した。またこの日には、市内の各官庁・学校・会社・工場・町会などか各種の記念行事を開催したが、松風、高砂町会が記念青年弁論大会、堀川、東川町会が引揚者・戦災者慰安の夕、音羽町会が邦楽演奏会を開催したほか、少国民連盟か3日から1週間「平和祭」、青年文化連盟が同じく3日から「文化大学祭り」を開催している(21年11月4日付け「道新」)。
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