通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第3章 戦時体制下の函館
第5節 戦時下の諸相
3  強制連行と捕虜問題

3 中国人の強制連行

戦時体制と労働力

外地労働者移入組合

中国人労働者の処遇案

職業紹介法の制定

閣議決定と試験的移入

函館の事業場

(株)地崎組の中国人使役

(株)地崎組函館出張所の場合

函館華工管理事務所の場合

中国人労働者の生活

中国人の帰還

職業紹介法の制定   P1257−P1258

 この昭和14年段階では、すでに前年の13年4月に「職業紹介法」が制定され、厚生省も「職業紹介法施行規則」、「労務者募集規則」を施行し、職業紹介事業は政府の独占事業となっていた。これを受けて北海道庁は、同13年9月に「労務者募集規則施行細則」を施行したが、この結果、土工夫らを雇用のために募集する場合、雇用者=募集者は地方長官の許可が必要となった。前記の文書に「労務者供給事業ノ許可ヲ受ケ」とあるのは、このような事情を反映したものである。
 また、寄宿舎設備の項において、大正8年の北海道庁令第79号に準拠するとされているが、この庁令とは「労役者使用取締規則」を指す。いうまでもなくこの規則は、当時の北海道に蔓延したタコ部屋、即ち土工部屋の取締りのために制定されたもので、「労役者ヲ収容スル為寄宿舎ヲ設クルモノ」に適用された(第2条)。
 この規則第4条は、寄宿舎の構造を次のように定めている。

一、居室ハ一人十八平方尺以上ノ割合トシ病傷者ト健康者ヲ区別スル為メ適当ノ区画ヲ設クルコト
二、床張ヲ為スコト
三、便所ハ炊事場及井戸ヨリ二間以上ノ距離ヲ保ツコト
四、換気採光ニ関シ適当ナル設備ヲ為スコト

 地崎宇三郎らの外地労働者移入組合も、このような規格の寄宿舎を設置しようと意図していたのであろう。しかし、この中国人苦力移入問題は、組合発起人代表によって北海道庁学務部職業課宛に募集申請を行ったにもかかわらず、実現しなかったようである。
 その後地崎組では、昭和16年9月にも、土木業界の死活問題である「労務者の沸底」が極限に達しているとして、この状況を打開するために中国人苦力の移入を政府に働きかけるべく、土木業者の結束を呼びかけている。同年9月10日にはそのための準備会を開催する手はずを整えているが、その詳細に関しては不明な点が多く、実際に準備会が開かれたか否かは確認できない。
 なお、昭和15年3月には、商工省燃料局で苦力輸入方針が提示され、政府中央でもその具体策を検討したが、労務管理と治安上の理由から結局は2年後まで実現しなかった(北海道開拓記念館所蔵、北炭札幌事務所資料)。
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