通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


「函館市史」トップ(総目次)

第3章 戦時体制下の函館
第5節 戦時下の諸相
2 戦時下の外国人

イギリス領事館とデンビー

ソ連領事館の動向

亡命ロシア人の受難

在留中国人の苦難

その他宗教関係者

その他宗教関係者など   P1238

 昭和16年の外事警察の調査では、在日カナダ公館はイギリス帝国連邦の中でも有数の地位を占め、イギリス大使館に代わって種々の工作を行っているといわれている。函館のカナダ人にもその矛先が向けられていた。函館商業学校などで教鞭を取り、独立伝道者として明治39年以来滞在していたウィリアム・レニーの場合もそうである。本国から「通信員」になるよう求められたが、彼は断然これを拒否し、憲兵や特高、さらには一般市民の迫害にもめげず生活を続けていた(神田幸子『ウィリアム・レニー先生小伝』)。昭和15年10月のイギリス大使館の引揚勧告によりカナダ人の引揚げが始まったが、レニーは大使館の勧告を頑なに拒んでいた。しかし、ついに同16年9月函館を去り、横浜からカナダに送還された(同前)。
 一方、昭和12年に函館の天主公教会宣教師として来函したカナダ人マルセル・フールニエは、同15年12月に軍機保護法違反の罪で北海道庁により検挙され、その後懲役3年の判決を言い渡された。犯罪事実としてあげられているのは、信者である日本人青年らを利用し、函館山要塞をはじめとする軍事上の秘密事項を探ろうとしたということである。またこの行為は駐日カナダ公使館の指令で、多額の活動資金が送られていたことも報告されている。なおこれに関連して、情報提供者となった日本人3名が軍機漏洩の罪をとわれ処分を受けた。同教会からは、同17年6月の交換船でカナダ人宣教師E・チェンヌ・ラポルドが送還されている。
 その他、湯の川天使園(トラピスチヌ)修道院の外国人修道尼たちの引き揚げも計画された。昭和17年3月現在、同院にはフランス人10人、スイス人とドイツ人が1人ずつ、計12人の外国人が暮らしていた。この修道院が要塞地帯にあり将来外国人の居住が困難になるとの理由から、「仏印海防」(現ベトナム・ハイフォン)方面に新修道院を設け転出させることになったのである。ただし高齢を理由にそのうち3人は残留することになった。昭和18年3月2日の北海道新聞の記事には「外人が全部引上た」とあるので、計画が遂行されたことがわかる。

「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第3巻第5編目次 | 前へ | 次へ