通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第3章 戦時体制下の函館
第2節 戦時体制下の産業・経済
1 経済統制下の函館経済
2 戦時下の外国貿易

戦時下における外国貿易

統制下の貿易業者

統制下の貿易業者   P1136−P1138

 ところで戦時下に入ると貿易業者も統制経済体制のもとに組み込まれることになった。11年に貿易組合法が制定され、それに準拠して13年4月に函館海産物輸出組合が結成された。同組合は組合員の取扱商品の輸出斡旋、委託輸出、買取輸出を行うこと、その出荷取締り、必要時の営業統制などを目的としていた(『函館海産商同業協同組合寄託資料目録』)。しかし神戸の輸出組合が全国的な輸出統制組合の結成を提唱したため海産物輸出の中心地である地域的な特質にたった北海道庁はこれに反発、その意向を受けた函館海産物輸出組合は小樽、根室等の同業者に働きかけ、全道一円の広域的な組合をめざした北海道海産物輸出組合への改組の手続きを進め、同年7月に設立総会を行った(昭和13年7月10日付「函日」)。事務所を札幌に置き、函館、小樽、根室、釧路の道内各地に支部を置いた。函館は船場町の海産商同業組合に同居している。役員は理事に函館が5名(斉藤栄三郎、寺尾庄蔵、函館水産販売(株)、三井物産(株)出張所、日本水産(株)営業所)、小樽3名、根室・釧路が各1名、それに監事4名によって構成されているが、翌14年の『函館要人録』には斉藤栄三郎が理事長となっている。函館海産物輸出組合を母体として設立された経緯から函館の海産業界の主導のもとで運営されたようである。組合設立は北海道の貿易業者の商権を確保したとはいいながらも、官主導による統制行為といった枠を越えるものではなかった。加盟組合員は所属する支部を経由して品目別の過去3か年の輸出実績を提出し、本部はそれらを基に輸出割当を決定した。なお、15年の『函館要人録』では北海道海産物輸出組合函館支部として掲載されており、函館水産販売(株)の社長の高村善太郎が支部長(理事)となっている。この間の組合の位置付けと函館との関連は不明である。
 さて翌14年3月には農林省主導による日本輸出海産物水産組合が結成された。この組合は昆布・貝柱・乾鮑・海参・塩鮭鱒の5品目の輸出品の生産ならびに販売の調整を図り、生産者の事業安定と円ブロックおよび南洋向け輸出の振興を期することにあった。同年10月から事業が開始され、販売統制と輸出検査を担当した。同組合の指定販売機関として同じく8月に日本海産物販売(株)(以下「日海販」と略)が設立された。これに先立ち輸出海産物の統制をめざす政府の方針が発表されると地域権益の喪失につながると同年4月に函館で「日海販反対期成同盟」を結成して貿易業界のみならず地域一体となって反対運動や中央への陳情行動を繰り広げた。期成同盟は反対理由として北海道漁業組合連合会や日海販、大手輸出業者のみによって決定されるいわゆる「公定価格」は生産者や流通の最前線にいる業者を排除しているために不漁や価格高騰といった動きに対して柔軟な対応ができないこと、新会社の手数料の上乗せによって消費者に負担を強いること、また従来の市場取引が否定されて社会的な困難を引き起こす可能性があることなどをあげている。函館の動きに商工省は理解を示し、また神戸などからの支援の動きがあり日海販の一元的な統制にある程度の妥協案を引き出した。日海販は9月に函館にも支所を置いて業務を開始した(『風雪の碑』)。
 昭和16年8月に重要産業団体令が公布されると日本貿易統制会が組織され、全国の貿易業者の整理統合が進められていった。これに伴い海産物貿易業も日本水産物輸出組合を中心に整理統合され、その統合方針として従来の日本海陸産物輸出組合の支所、出張所8か所を単位に企業合同を進めた。三井、三菱、日水、林兼、小幡の5社はその対象外となり全国で13社の輸出貿易機関が設立されることになった。
 函館では17年1月に日本海陸産物輸出組合函館支部の懇談会が開催された。支部には43名の組合員が加盟していたが、その当時すでに輸出実績のない28名はこれを機会に組合を脱会、15名で組織することになった。しかし実際は輸出実績の80%を占める函館水産販売(株)が他社の営業権を買収して函館における海産物輸出貿易の統制を図ることになった。同社は16年7月に円域向けの輸出が日本海陸物産輸出組合の共同輸出品に指定されて個人取引が可能となった時も幹事商社に選任されて輸出代行業者として実績をあげていた(函館水産販売(株)『第十二期報告書』)。ちなみにこの時点での参集者は函館水産販売(株)のほか奥村順司、北出徳太郎、義記号、寺尾庄蔵、佐々木米吉、船木徳松、山本幸次郎、満州三木、北海物産、小林録太郎、森次一郎、クラフツォフ、阿部彦七、中野直三郎ら15名であり、彼らの取扱額は年額にして400万円であった(同年1月31日付「新函館」)。
 日本海陸産物輸出組合は同年4月に日本水産物輸出組合と改称するが、函館の支部も同じく改編された。ちなみにこれら支部のそれぞれの輸出行為を明らかにする史料が函館大学に所蔵されている。函館海産商同業組合から寄託されたものであるが、前者では「輸出承認申請書綴」などがあり、輸出者氏名、品名、数量、価格、統制料、仕向地などが1件ごとに記載されている。前述の新聞記事を裏付けるように函館水産販売(株)、義記号などの地元業者の名前が散見されるほかに三井物産や小幡函館支店、日水、三菱といった中央大手の取扱も顕著なものがある。仕向地は上海を中心に大連、天津などが多い。後者も同じく「輸出承認報告書」といった簿冊群があり「満円ブロック」への輸出実態を知ることができる。
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