通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第3章 戦時体制下の函館
第1節 戦時体制下の行政
2 大政翼賛会の発足と選挙

大政翼賛体制

函館の大政翼賛体制と翼賛選挙

函館の大政翼賛体制と翼賛選挙   P1124−P1126

 函館でも中央で大政翼賛会ができた翌日の昭和15年10月13日、全国各地で行われた「大政翼賛、三国同盟市民大会」を挙行、大政翼賛の実を挙げることを誓約した。そして16年1月に北海道支部が結成されてその傘下に市町村支部結成の方針が決められると、大政翼賛会函館支部規程を設け、2月11日に発会式を行った。支部長は市長で、市会議長ほかの顧問と理事が置かれ、幹事には幹事長の市助役以下市職員がなり、毎月2日と16日を例会日とすることとした。次いで、全国的に翼賛運動邁進の実践部隊を作る動きが興ると、函館市でも青壮年で「函館市壮年団」を組織することとなり、17年1月17日結団式を青年会館で行い、市民翼賛運動の尖兵たらんことを宣言して、団長、副団長、理事を選出した。当初団長は阿部平三郎市助役であったが、すぐに理事の今田清二に代わり、翼賛会の外郭組織として実践運動を展開した。
 翼賛運動が展開される中、昭和16年4月に実施されるはずであった総選挙は、戦時下ということで延期され、政党を解党した議員は同年9月に翼賛議員同盟をつくっていた。太平洋戦争の緒戦に勝利したこともあって、翌17年4月30日に、1年遅れで総選挙が実施されることになった。
 翼賛運動下のため、推薦制度による選挙となった。推薦母体は2月に結成された翼賛政治体制協議会(会長阿部信行)で、議員定数の466人が推薦された。選挙運動は取り締まりが強化され、非推薦候補には激しい圧迫があり、推薦381人、非推薦85人という結果になった。投票率は全国平均で83%、当選者は推薦候補が約82%を占めた。選挙後、翼賛議員同盟は解散、ほとんどの議員が参加して翼賛政治会が結成され、政府と協力して大政翼賛運動の徹底を期した。
 この選挙に際して北海道庁振興課は「翼賛選挙貫徹運動特輯」の常会資料を発行しているが、選挙貫徹のために常会が行うべき事柄が詳細に説明されている。運動の基本要項は、(1)大東亜戦争の完遂…国民の士気昂揚、(2)翼賛議会の確立…国民政治意欲の昂揚、(3)最適人材の動員…最適候補者推薦気運の醸成、(4)選挙の倫理化…選挙宿弊の一掃となっていた。この常会資料には問答形式の「懇談の際の心得」があってとくに事細かに説明され、中でも「誰が推薦するか」では、

一般国民が何等かの仕組みで候補者を推薦するといふことは、衆議院議員選挙では大へんですから、そこで「翼賛政治体制協議会」などといふものも出来たわけです。町内会、部落会隣組で候補者を推薦することは出来ません。選挙運動は出来ません。選挙といふものは、有権者が、一人々々誰の意見にもとらわれず、自分の判断、自分の意志で投票をすべきものですから、めいめいが、翼賛議会にふさわしい人だと思ふ候補者に投票をすれば良いと思ひます。自由立候補の方々のうちにも、立派な人物は居られるでせうし、「翼賛政治体制協議会」の道支部で銓衡して推薦された人々のなかにも、立派な人物は多いと思ひます

と、まったく用意周到な言い回しで指導している。さらに「これ等の候補者につき有権者独自の判断で真に大東亜戦下の国民代表として相応しい人を選び投票すべきであります。」と結ばれている。
 函館(北海道3区)での衆議院選挙は、結局前議員2人(大島寅吉、渡辺泰邦)と新人(真藤慎太郎)が推薦候補者となり、非推薦候補者6人を大差で破り当選を果たしている。また、函館市では市会議員の改選期となっていたため、8月28日に函館市翼賛市会建設同盟(理事長坂本作平)が結成され、隣保班を総結集して候補者の選考に当たることとなり、9月29日、いわゆる推薦気運が醸成されて誕生した「候補者銓衡委員会」(委員42人で委員長は坂本作平)が44人の候補者を選考、告示日の30日に正式に決定された。新人29人、現職15人で新風を期待した選考であった。そこでこの44人を市会に送るために市政振興会(会長斎藤與一郎、幹事長原忠雄)を結成して推薦母体となった。この選考について原幹事長は次のような感想を述べている。

 各銓衡委員の一致した意見は、次代の函館市会を背負って立つべき人物は市民の中階層であるといふことであった。そこで主点をそれに置いて推薦して見ると現実は職域の関係等から理想通りにはゆかず十名程度が辞退せざるを得なくなったのであるが、…当選予想を度外視して厳選したつもりである。従って仮令当選率が悪かったとしても吾々が全国に魁けてかうした推薦方法をとったことはやがて実を結ぶ時期のあることを確信してゐる。

 選挙運動を市政振興会に委ねた翼賛市会建設連盟は選挙の倫理化運動を展開し、10月14日からは翼賛選挙貫徹週間を実施した。しかし、結局自由立候補者(非推薦)が30人立候補して選挙戦となり、20日投票が行われた。有権者は3万6627人で、投票者は2万5431人、投票率は69(前回は65)で、新聞の見出しも「投票意外に不成績」(10月21日付「新函館」)であった。当選者は、推薦候補者は33人(現職11、新人22)、自由候補11人(現職8、新人3)であり、翼賛市会建設連盟理事長坂本作平は「…圧倒的優勢とはいえないが…翼賛会支部同壮年団の協力を得て選挙倫理化に対しては全く挺身御奉公出来たことは邦家の為め欣快」(10月22日付「新函館」)とコメントし、24日に、解散式を行っている。
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