通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第9節 労働運動の興隆と衰退
6 北洋漁業基地函館と漁夫問題

船員争議と函館港

蟹工船事件

北洋漁労組合の結成

北洋漁労組合の結成   P1106−P1107

 昭和8年4月16日、「北洋漁業を中心とするカムチャツカ、北千島、エドロフその他港湾に出漁する漁労労働者」を中心に「北洋漁労組合」が創立され、事務所は元町23番地の日本海員組合函館支部内におかれた。当日の出席組合員は約500名を数えた(4月18日付「函毎」)。議長に宮岸十次郎海員組合函館支部長、副議長に宮川義雄が選出され、社会大衆党を代表して進藤浪二、また鶴本徳太郎が挨拶している。
 当日、次のような宣言文が採択された。「我等カムチャツカ一帯の漁場労働者が多年願望したる国営北洋漁業組合は海上労働大衆の異常なる支持応援のもとに完全に結成せられた。資本家の『あてがい扶持』的雇用慣習と資本家的労働商品化の弊害を打破するため、団体協約的獲得労働立法の完成を期しつつ、あくまでも資本主義の搾取に抗するものなり。然れども吾国の国情を無視して労農独裁を夢想するが如き共産主義の運動が社会に及ぼす過害の如何に大なるかを指摘し、ここに北洋漁労組合は断固として共産主義を排除するものなることを銘記」する。
 ここに見られるような北洋漁業労働者のロシアに対する反発は、ソビエト国営漁場の邦人漁夫雇用中止声明が発せられたからである。函館の北洋漁業労働者による北洋親睦共済組合はこの問題について、昭和8年3月21日と4月18日に大会と演説会を開催している。そこでの決議は「一、吾々は日本国民としてまた多年の露領北洋漁業労務者として国民的権益たる露領北洋漁業の防護に於ける参加権を決して放擲せず。一、本年度ソビエート極東漁業機関に於て吾々を雇用せずとの事由は其の真相不明にて吾々は徹底的に其の根拠を究明して吾々の雇用に対してソビエート当局の再吟味を要求す。一、吾々労務者の露領北洋漁業に於ける地位に関して我政府当局の締結に係わる日露漁業条約中に幾多不備の点あるを指摘し、政府当局を鞭撻して吾々の権益擁護に邁進す。一、吾々は往年の米国に於ける日本移民排斥法を想起せしむることにより吾々の生活権擁護に対する国民総意の支持を期す。 昭和八年四月十八日 北洋親睦共済組合」という内容のものである(4月20日付「函毎」)。
 この背景にはロシア側の労働者使用の制限問題が双方にあったことを反映している(詳細は第2章第5節を参照)。
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