通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第7節 都市の生活と新しい文化

4 社会問題・社会事業
1 米騒動の函館への波及

北海道での米騒動

市内の米価騰貴

伝えられる「騒動」

富豪の拠金と廉売

廉売の継続

廉売販米の中止

廉売の問題点

市内の米価騰貴   P790−P792

 函館市内の新聞、「函館日日新聞」「函館毎日新聞」にみる米価騰貴、米騒動に関する記事の多くは、函館区役所による廉米売出しの記事であるが、米価騰貴の市民生活への影響、騰貴動向への見通し、「騒動」の激化する様子、中央行政の対応策など、多様な面で、この問題を扱っている。
 政府が外米管理令を公布して、三井物産、鈴木商店、湯浅商店、岩井商店を外米輸入商に指定し、外米売買の管理を本格的にはじめたのが5月上旬のことであった。外米の輸入増、その適正価格の販売によって国内の米価の安定を期したものであった。ラングーン米は、原地で1石8円から12円、運賃は8円を要するが、政府による運賃助成なども検討されていた。そこで、「外国米の炊方」(7月2日付「函毎」)という記事もあらわれる。国産米のうちに3割ほどをまぜて炊く。糯米をまぜると、粘り気が出て食べ易い。臭が気になるようだったら、国産米の糠に何日かつけておくと気にならなくなる。炊く時に釜の蓋の下に布巾を敷いてふきこぼれを防ぐと糊分が保たれて、食べやすい…など。これは、農商務省技師の講演によっているものであった。
 しかし、安い外国米の移入で、国産米米価の騰貴がおさえられるという効果は、ほとんどあらわれなかった。外国米の消費があまり、すすまなかったからである。
 「米の高いのは心配に及ばぬ−8月中旬には下落、間違へば非常特別法」という農科大学(現在の北海道大学)教授の講演記事も紹介され(8月4日付「函毎」)、1石30円位で苦情をいうのは、まだ「戦争気分になっていないからである」、第1次世界大戦下の諸国では、小麦粉に、いもをまぜて飢えをしのいでいるところも多くなっている。ドイツ、フランスのように特別立法で、価格を安定させることもできるし、幸い豊作が予想されており、例年米価の高い7月を過ぎ、8月中旬ともなれば値下がりすることになるだろうとしていた。
 しかし、この値下がり見通しは期待はずれとなる。栄町の米商主人は、7月17日には、36銭、それが18日には38銭となった、40銭となるのもすぐだろうといっていた。「四十銭迄騰がる/月給取は干乾だ」(7月19日付「函日」)の記事では、出兵気構えの一時的人気とばかり見られない、需要そのものが活発であり、「定期などは受渡米に窮して周章狼狽」(長期精算の取引契約の精算期となって現米を引渡さなければならないのに、米が入手難で困難している)という有様だから、1升、40銭までは騰貴することになろう、従って「差詰、月給取の干乾が出来るだろう」というのである。
 しかし、一方で「米が一升四十銭だって、ふゝん、と鼻で扱(あしら)う函館人」(7月26日付「函日」)という記事では、農商務省は、農民、商人を問わず、「内地米十石以上を有するもの」の届出を指示したが、これで米価調整ができるのか、函館市内にも、いつも10石位の米を店頭に積んでいる米商は100軒位もある、しかし米価は天井知らずである、高すぎて小売店も困るほどの状況、それなのに、外米はさっぱり売れない、漁場には向かないし、農家も食べない、町の人も外米は歓迎しない、外米がやや売れるのは、「お役人連、区役所、裁判所の腰弁連中」むけだけ。
 こうして、外米輸入による米価調整や、在米調査の徹底による供給不安の解消というような政策は、いずれも急な効果をみせていなかったのである。
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