通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第6節 民衆に浸透する教育

2 昭和初期の教育

2 中等学校

中学校教育の全国的動向

市内中等学校の教育状況

庁立函館工業学校の位置変更

庁立函館商業補習学校の廃止

教化総動員運動の展開

青年学校の発足

庁立函館工業学校の位置変更   P679−P680

 庁立函館工業学校は当初函館区立工業補習学校として建設され、大正11年、地方費に寄付されたものであるが、その校舎はほとんど仮建築同様のもので、ことに実習室、工場、屋内体操場、その他の付属室は、かろうじて両3年を支える程度であった。かつ全敷地も狭く、屋外体操場に充てるべき場所狭小であるのみならず、必要建築物の増築も不可能の状態にあった。従って、そのままではこれ以上の拡張ができないだけでなく、地域は市街民家稠密の箇所で、防火上、教育上考慮を要する点が少なくなく、相当広い適地に移転させる必要に迫られていた。函館市は、市の発展を策する観点から、移転を希望し、土地寄付を申し出て受納手続きを終了し、3か年の継続事業として移転改築を実施、その継続費は起債に依ることも道会の決議を得ているとして、位置変更の件の認可申請が、昭和3年5月2日付けで道庁長官より文部大臣あてに提出された。位置は、函館市大字亀田村柏野6番地および7番地の内畑地1万坪とされていた。なおこの敷地は渡辺熊四郎の寄付によるものであった。
 この件の認可は、昭和3年8月8日付け文部省告示第351号により告示されている(国立公文書館所蔵「自昭三年八月至昭二十二年十月工業学校設置廃止認可」第1冊)。
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