通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第5節 躍進する北洋漁業と基地の発展

4 母船式鮭鱒漁業の展開

沖取鮭鱒漁業の始まり

平出漁業と母船式鮭鱒漁業

母船式鮭鱒漁業の発展

企業合同への道

合同「太平洋漁業」の成立

沖取漁業への農林省の対応

合同会社「太平洋漁業株式会社」の成立

合同会社「太平洋漁業株式会社」の成立   P615−P616

 昭和10年1月17日、沖取漁業関係者全員が日魯漁業本社に集まり、合併合意の最終協議が行われた。席上「企業合同ニ依リ組織スベキ会社ハ太平洋漁業株式会社ニ合併ノ形式ヲ取リタル新会社ヲ創立スルコト」が確認され、これに基づき、太平洋漁業と各沖取漁業者との合同に関する契約書が交わされた。
 契約書には、「乙(沖取漁業者)ハ甲(太平洋漁業)カ農林省ヨリ母船式鮭鱒漁業ノ許可ヲ受クル為乙カ農林省ヨリ許可ヲ受ケ居ル左記母船式鮭鱒漁業ノ営業(営業権)ヲ甲ノ為廃業スルモノトス乙ハ廃業ト共ニ其営業権ヲ甲ニ譲渡シ甲ハ之ヲ譲受クルモノトス(第一条)」。「甲ハ前条ノ乙ノ廃業報奨金ヲ金  円トシ甲ハ此ノ代金ノ内金  円也ハ第三条ニ依ル株式払込金ニ振リ替ヘ残額ハ昭和十年 月 日ニ現金ヲ以テ乙ニ支払フモノトス(第二条)」とあり、太平洋漁業が、沖取漁業者の営業権(漁業許可)を買収する形で合併することが正式に確認された(前出『母船式鮭鱒漁業誌』)。
 これを受けて同年2月25日、太平洋漁業株式会社の株主総会が開かれ、資本金を600万円増資して800万円とすることが決まり、合同会社「太平洋漁業株式会社」が発足したのである。同社は本社を、この時まで、函館市に置いていたが、これ以後東京市に移された。
 新会社の役員には、沖取漁業に対する統制の必要を力説してきた平塚常次郎日魯漁業副社長が社長についたほか、取締役に真藤慎太郎(専務)、外山源吾(常務)、窪田四郎らの日魯漁業幹部が就任し、日魯漁業の完全な系列会社としての体制が整えられた。こうして、露領沿岸の漁業は日魯漁業に、公海の沖取漁業は太平洋漁業にそれぞれ統合された結果、北洋漁業における生産から販売に至る全過程は、日魯漁業の独占体制に完全に包摂されたのである。
 この沖取漁業の大合同は、前述のように、農林省の半ば強制的ともいえる積極的な行政介入の下に実現したわけだが、このことについて、(1)農林省は、鮭鱒資源の保護のためには沖取漁業の削減が必要であったこと、(2)日ソ漁業条約の改訂交渉にあたり、露領漁業と沖取漁業との調整を図るため、日魯と同一体、あるいは密接な関係のもとに協調可能な合同会社が必要であったこと、(3)販売体制上必要であったことなどを理由にあげていた。このなかでは、(2)が最も重要なポイントで、対ソ連交渉の過程で、「経営者自身が独自の立場で自由に敏速に事業の伸縮を自在ならしむる事」(『合同記念・沖取鮭鱒漁業発達史』)が必要であったのである。
 このような意味で、合同会社「太平洋漁業」は、国家権益を擁護するための国策会社となされたが、この大合同は、北洋漁業全体の統制(独占)を目指していた日魯漁業の利害と完全に一致していたのである。
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