通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第4節 戦間期の諸産業

6 倉庫業の変貌

3 冷蔵倉庫

小熊倉庫

函館冷蔵会社

函館冷蔵会社   P543−P544

 函館冷蔵会社は昭和3年に創立された。現在、海岸町に、鉄筋コンクリート3階建の威容を誇る、日魯指導の函館定温冷蔵株式会社の前身である。始めは、普通倉庫業よりは、北洋物などの保管(北洋鮭鱒)を主にしていた。しかし、昭和5年の函館倉庫業組合には、既に加入している。
 荷役は、定温組が請負った。定温組は、船内、沿岸、庫内作業を一貫荷役していた。
 昭和10年1月6日「函館毎日新聞」によると、「巴港に新名物、定温倉庫完成」と大みだしで、函館定温倉庫株式会社の倉庫完成を報じている。これによると、落成式は1月3日。「海岸町埋立地にそびえ立つクリーム色のモダーンな三層閣」の倉庫で、冷蔵庫は、鉄筋コンクリート5階建、建坪26坪、冷蔵室910坪、機械装置はチウレイ竪型単動密閉式アンモニア圧縮機2台で、冷蔵能力は120トン、北洋漁業の製品並びに道内生産品の保管、函館近海魚の冷凍をすることになっている。普通倉庫もあって、コンクリート・スレート葺建坪1428坪である。この倉庫の特色は、それだけではない。毎時72函を運べるコンペア2基、エレベーター2トン1基、シュート毎時720函2基を備え、2台のコンベアから送られる能力は1時間1440函という荷役の機械化がそれである。
 まさに工場式倉庫であって、それが、海岸町の新埋立地に立地している。工業立地を新しい市是とした「大函館港」構想に沿う新型倉庫であったといえよう。資本金50万円、社長真藤慎太郎。
 會合田金吾の『北海道港湾労働史の一端−主に函館港の荷役と倉庫について−』によると、昭和2年、日魯漁業が函館冷蔵を創立、凍魚10トン、冷蔵2千トンの設備を建造した。同冷蔵庫は、昭和14年、函館定温との合併により、函館定温第二冷蔵庫と改称したという。會田金吾によると「当時の冷凍食品は、一般大衆には余り好まれなかったが、たまたま関東大地震が起きて東京市民は、食料危機にあった。そのとき幸運にも葛原猪平(森町)所有の冷凍運搬船、江の浦丸800総トンが、北洋漁業より冷蔵サケを積み芝浦港に陸上げ、市民の食料不足を補った」。これがその後の冷凍冷蔵庫建設の動因となったと説明している。
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