通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第4節 戦間期の諸産業
5 大正・昭和前期の函館港

5 貨車航送船・翔鳳丸就航

翔鳳丸型就航

施設の第2次改良工事

施設の第2次改良工事   P531−P532

 この貨車航送船の港湾設備の結果、艀荷役の必要がなくなり、大正15年4月1日、連絡貨物積卸請負作業が廃止された(『函館駅50年の歩み』)。港湾設備の直接的大変革だけに止まらない。函館駅の第2次大改良工事(昭和3年10月同6年5月)が行われた。『函館駅50年の歩み』は、この工事が必要となった最大の要因が「大正十四年の貨車航送開始と、これに連らなる長輪線(現室蘭線)の全通である」と説明している。第2次改良工事は、予想される中継貨車の激増のための全面的構内配線替えのために行われたのである。若松町所在の鉄道官舎を海岸町に移転、機関庫、客車庫を北部に移転したのであり、このため、海岸町は、鉄道の街に化したのである(後述、「7 大正・昭和前期の函館陸上交通」)。
表2−101 昭和前期青函間輸送量の推移
年次
旅客
貨物

昭和1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
千人
766
756
804
872
832
687
638
689
830
839
903
999
1,118
1,508
1,826
1,830
1,793
2,097
1,954
1,433
千人
766
756
804
872
832
687
638
689
830
839
903
999
1,118
1,508
1,826
1,830
1,793
2,097
1,954
1,433
『青函連絡船史』より
注)1.旅客千人未満切捨て
貨物千トン未満切捨て
2.上り、下り合計数である。
 更に、海岸町には、流入してくる石炭のための置場がふえて、倉庫業の様相を変革もさせている。大まかにいって、昭和時代に入って、青函連絡船が本格的に稼働し、かくして、明治大正の海運時代から、鉄道時代に入ったといってよいのではないか。別の表現を以てすれば、機械と石炭の時代、産業資本の時代になったということである。同時期に、旧函館港は北洋漁業の基地になっている。従って、その必要な小型発動機船の燃料として重油が函館に大いに流入している。この事を考えると、函館港はこの時期、石炭と石油の基地になったともいいえる(後述、「6 倉庫業の変貌」)。
 貨車航送船の登場は、昭和3年の長輪線間通を誘発し、かくして大正13年70万人、貨物46万トンと既に限度以上に稼働していた輸送事情は漸く緩和された。大正13年以降、旅客は、70万〜80万人台を上下し、青函連絡船の黄金時代を迎える。もっとも、昭和12年、日中戦争開始後は、100万人に達し、以下、激増し、再び、能力不足を嘆ずるようになる。貨物は、大正13年46万5000トンと過大な需要に苦しんだが、昭和に入って、一挙に60万〜70万トン台となり、昭和11年ついに109万トンと100万トンを突破する。以下の激増は、驚威的で、貨車専用船青函丸型新造を招くのである(表2−101)。
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