通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第4節 戦間期の諸産業
3 工業化の進展

3 主要企業の動向

函館船渠(株)

浅野セメント(株)北海道工場

大日本人造肥料(株)函館工場

函館製網船具(株)

函館水電(株)

北海道瓦斯(株)

函館水電(株)   P455−P456

 亀田火力発電所は大正9年に竣工し、1000キロの送電を開始したが、さらに11年には1000キロの火力発電所を建設して、12月には発電を開始している。大野川は11年に竣工送電開始、磯谷川は13年に工事完成して送電開始、磯谷川第二は昭和2年に建設、送電開始した。函館市外については、大正12年に八雲水電を、また13年には森水電および松前水電を取得、戸井水電は傍系会社として経営するに至った。昭和5年12月の相沼内発電所の増設で設備は一段落した。最大出力1万5400キロワットに達した。
 資本総額は大正10年に650万円(払込399万円)、昭和5年には1350万円(払込1003万円)となり、配当率は大正12年下期から昭和2年上期まで12%、それ以外はすべて10%であった。連続8期にわたる12%配当の時期の払込資本対利益率は16.5%から19.4%におよぶ高さである。函館市では水電の営業状態が順調で、多額の利益を配当する余力を有する実況に鑑み、現行の電灯料金を25%、電力料金を35%値下げの要求を提出した。しかし交渉は難行して双方行詰まりの状況となったので、商業会議所に無条件で仲裁を一任し、その結果昭和2年6月より電灯13%、電力17%の値下率で実施されたのである。
 電灯収入と電力収入とを比較すると、大正14年の電灯収入は136万2000円、電力収入は44万4000円、昭和3年では電灯収入は150万8000円、電力収入は49万3000円であるから、電灯料金が75.4%を占めて電灯会社と呼ぶにふさわしい内容である。電灯需要戸数は増加を続けて昭和5年には4万1390戸、45万2000灯(10燭換算)となった。電力は昭和5年末で6902馬力、はじめて前年同期に比して26.5馬力の減少であった。電力料金が他都市に比較して高価であることは、「其価格廉ならず、恐らく日本中に於て最も高価なるものゝ一なるべし、市として現在の儘に放任せば何れの工業も今後大なる発達進歩を来さゞるべし」(昭和3年11月1日付「函毎」)の記事がある。
 なお、電車業の方は乗車収入ならびに乗車人員は毎期数%の増加を続けた。総収入金に占める乗車収入の割合は、28%前後であった。
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