通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第3節 函館要塞と津軽要塞
3 函館重砲兵連隊

函館要塞砲兵大隊

函館重砲兵大隊

函館重砲兵連隊

津軽要塞重砲兵連隊

戦時下の重砲兵連隊

戦時下の重砲兵連隊   P292−P294

 このような戦闘命令のもとに津軽海峡の防衛を担当した重砲兵連隊であったが、翌17年には、秋山連隊長の病死(5月19日)、津軽海面への敵潜水艦の出現(7月7日)などの出来事があり、また、連隊の直轄砲兵隊(第6中隊の一部)を函館市役所屋上(92式機関銃4)、函館ドック屋上(同上3)に配備して対空戦に備えた。

要塞電燈
 なお、敵潜水艦の津軽海峡近海への出没は、8月1日、12月16日にもみられ、昭和18年に入ると、4月15日、6月22日、7月31日、8月30日と続発、とりわけ8月30日の場合には、日本側商船が魚雷攻撃を受けて左傾するなかで、恵山砲台が計15発を前方8000メートルから6000メートル付近の敵潜水艦に発射するという事態となった。恵山砲台の砲撃は、翌19年5月8日にもあり、同年3月、津軽要塞命令により津軽海峡東口地区の警備を強化のため、可搬式90センチ電燈1基を要塞司令部から受領し、尻屋地区に配備するなどの対策がとられた。さらに9月には、米軍の空襲や上陸に備えて砲兵陣地および重要施設を防護のため、築城を強化した。
 10月に入ると、金属回収の余波は軍隊にも及び、連隊使用の鉄製寝台506、同階段辷止112を鉄製品回収統制組合に送付し、木製寝台などと交換した。
 昭和20年4月15日、津軽要塞守備隊は、19年3月に編成された第5方面軍の直轄となり、津軽要塞重砲兵連隊には、達第71部隊の通称号が与えられた。そして、同連隊は、津軽海峡の東口に防備の重点を置く配置をとることとなった。すなわち、戸井地区隊(長は連隊長)、白神地区隊(同第1大隊長)、龍飛地区隊(同第1大隊第2中隊長)、大間地区隊(同第1大隊第6中隊長)、尻屋地区隊(同第1大隊第3中隊小隊長)に分かれ、とりわけ「海峡東口ノ敵艦船ノ航行ヲ阻止ス」ることを目的とする戸井地区隊には、第2大隊、独立歩兵第290大隊、歩兵第130連隊砲兵大隊高射砲中隊、高射砲第24連隊第5中隊、要塞建築勤務第3中隊第2小隊の各部隊が配備され、地区隊長は、海峡阻止のために大間、白神、龍飛、尻屋の各地区隊を統一指揮した。
 このような配置のままで、津軽要塞重砲兵連隊は昭和20年8月の敗戦をむかえたのである。
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