通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実
第1節 市制の開始
2 市政の展開

第1回市会

初代市長候補者の選挙

小浜市長の辞任

2代目市長佐藤孝三郎

「市是」の制定と市民懇話会の開催

3代目市長の就任と突然の辞職

第1回市会   P227−P230

 函館市は西岡市長臨時代理者のもとでその歩みを開始したが、市政を担う市長の選出が緊急の課題で、そのためにはまず市会議員を選出して市長候補者を選ぶための市会を開催するという手順を経なければならなかった。
 初の市会議員選挙は、告示前から激戦模様で、前回大正9年の区議戦での対立の構図をそのまま引きずり、憲政会系の公正会と政友会系の北門倶楽部がしのぎを削る選挙となった。両派の推薦候補者が発表されると、それぞれの推薦団体がそれぞれの主張を付した推薦書を新聞発表した。公正会は「普通選挙即行よ、西岡排斥よ、醜類駆除よ 国政と市政とを民衆的に健全にせんと主張する公正派の候補者に清き一票を」、北門倶楽部はオーソドックスに推薦者名を連記して「諸氏を適任と認め推薦致候也」と記すのみであった。また両派に属さない地域の推薦、職産別の推薦等の推薦候補も出て、戸別訪問、立看板、演説会等々熾烈な選挙戦で、公正会には「函館新聞」が、北門倶楽部には「函館日日新聞」が付いて報道合戦が展開された。
 前述の通り大正10年の市制改正で市会議員選挙は二級制に変更されていたので、函館市の選挙も二級制で実施された。議員定数は36で、各級18人であった。大正11年10月20日に二級、21日に一級選挙が実施された。二級の投票総数は1万1715(有権者1万4494)、投票率は80.8、一級の投票総数は2797(有権者3094)、投票率は90.4であった。大幅に増えた有権者が、市政の展開に期待を抱いて投票会場を訪れたのである。開票の結果、初市会の陣容が決定された。両新聞とも表現の違いはあったが、公正会系の勝利と報じた。
表2−2 市会議長、副議長、名誉参事会会員選挙結果
議長
恩賀徳之助
松下熊槌
佐々木文治
24点
10点
1点
当選(公正)
(北門)
(北門)
副議長
小熊新三郎
伊予田徳次郎
佐々木文治
平出喜三郎
小川弥四郎
21点
9点
3点
1点
1点
当選(公正)
(中公)
(北門)
(公正)
(公正)
名誉惨事会会員
山崎松次郎
小川弥四郎
斎藤脩平
前田卯之助
佐々木文治
松下熊槌
岡田健蔵
6点
6点
6点
6点
6点
4点
1点
当選(中公)
当選(公正)
当選(中立)
当選(公正)
当選(北門)
当選(北門)
落選(中立)
大正11年「議決報告書」および大正11年11月8日付「函新」により作成
 第1回函館市会は、11月7日に開催された。欠席者は堤清六(北門倶楽部派)1人で、35人が出席した公正会派が主導権を握る市会の開幕であった。最年長者松下熊槌が仮議長席につき議事に入った。議事は、日程の第1は、市会議長選挙(無記名単記投票)で、会派予想の通りの投票結果となって、恩賀徳之助が仮議長松下熊槌と交代して議長席につき議事を進行させた。日程の第2は市会副議長選挙、日程の第3は、市制施行で初めて設けられた6人の函館市名誉参事会員の選挙で、選出された者は表2−2の通りである。
 市参事会は、市制誕生時「市に参事会を置き、市長、助役、名誉参事会員(東京は12人、大阪、京都は9人、その他の都市が6人)を以て組織し」、「市参事会は其市を統括し其行政事務を担任す」るもので、市会の議事を準備すること、市の権利を保護し市有財産を管理する事などが主な仕事で、市参事会が市政を担っていた。しかし、明治44年の市制の全文改正で、行政事務の担任者を独任制の市長と改正、参事会は市会の権限に属する事項で委任し得る事を議決する事、市長が市会に提出する議案について市長へ意見を述べる事(参事会の審査)などの副議決機関となっていた。
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