通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第1章 露両漁業基地の幕開け
第4節 明治末期函館の教育界
1 初等教育

就学者の増大

二部教授の実施

新教育の機運

学校行事の定着

学校の管理・運営の組織

宿直の定着

軍事と結びつく学校教育

明治期の子ども像

伸びる実質的就学率

明治期の子ども像   P200

 明治38年発行の『函館教育協会雑誌』第170号に、区内のある小学校の教員の「児童性行調査」(表1−59)が掲載されている。特定の地域の、特定の学校の児童についての、限られた事項の調査であるため、明治期における函館の子ども像一般を必ずしも代表するとはいえないが、数少ない調査であり、子ども像の一端を示すものとして、取り上げておきたい。調査は、高等科第2学年児童の、悪行(△)、善行(○)、将来の目的(×)について行われたもので、「全児童の九分通りは、真実を述べたるの観あり」「彼等の実際的行為の範囲、及び道徳実践の状態等を知り、児童教育上の便宜を得たる事少々ならざりき」といわれているものである。
 いつの時代にもみられる子供らしい悪戯の数々。なかには、明治ならではの悪戯もみられる。そのように、悪さをしながらもなお、学校での修身の教えを守り、良い行いをと励んでいるかに見える子どもの姿も、みてとれるものである。親子関係では、明治という時代を映す親への思いやりの表現がみられる。また、商業都市という土地柄を表し、大商人を夢見る少年。さらに、日露戦争時代という時代相を反映し、軍人を目指す子どもなどなど。ここには、地域と時代を映す子どもの姿が現れている。軍人志向は、昭和期の子ども像の原型ともいえる。
表1−59 児童性行調査
 
(△)悪行
(○)善行
(×)将来の目的
若松町某生(13歳)
 学業甲操行甲
(漁夫)
小鳥を捕りに行き、空腹となり、大根を取りしに 痛く叱られたり。 按摩さんが路上で困り居れるを助けたり。 将来樺太嶋へ渡り、魚利を獲とす。
若松町某生(13歳)
 学業丙挽行丙
(大工)
新川付近にて大根を、桔梗野にて李を取りて逃げたり。
汽車の線路に小石を乗せたる事もあり。
別段善行なし。 大工を以て身を立てんと思う。
若松町某生(14歳)
 学業丙操行丙
(家業米商)
十歳の時通路に糞縄を張りて、通行人を苦しめたり。 外の児童が道に迷いて泣けるを助け、その児の家に届けたり。 商業を為さんとす。
亀田村某生(14歳)
 学業甲操行甲
(農業)
家の馬を打ち父に敲かれ、気を悪くし、病院に入院し治療を受けたり。 学校帰りに、老婆の柴を背負うを助け、礼を云われたり。 父の業をつぎ、農をなし父母に能く事いたし。
海岸町某生(15歳)
 学業乙操行乙
(漁夫)
猫を犬に与へて殺させ、その猫の持主に叱られ、その上親に断わられ大目玉を頂戴せり。 汽車の走り来れる時、踏切番人に代り綱を張りて汽車を通せしに、踏切の番人より非常に褒められたり。 商家の見習いを為し、能く働きて家を興さんとす。
高砂町某生(15歳)
 学業丙操行乙
(家業馬車追い)
夜公道に糞縄を張り、通行人の着服を汚せり。 去年の夏、大森浜に子どもの溺れたるを救い上げたり。 荒物屋に小僧となり、忠実に勤めて大商人とならんとす。
鶴岡町某生(14歳)
 学業乙操行丙
(油屋)
某小学校に在りし時、他の学校の女教員を侮辱せしことあり。 山に行きしとき友人を助けたり。 心を俊めて家業をつがんとす。
東川町某生(15歳)
 学業乙操行乙
(青物屋)
亀田に遊びに行き、南瓜を盗み来りしことあり。 銭を拾い警察に届けたり。 高等二年にて退学し、商家に奉公に行き、早く父母を養わんとす。
大縄町某生(14歳)
 学業丙操行乙
(青物商)
嘗て田舎より林檎を盗みて、持主に打たれしことあり。 十日程前友人の落書せるを止めたり。 下駄屋に奉公したし。
若松町某生(14歳)
 学業丙操行丙
(青物屋)
去年五稜郭に遊びに行き、帰途他人の鳥篭を毀して逃げ帰れり。 此間、七飯村迄用達しに行き、豆五升を貰い、午後四時帰り来りて、母より大層賞められたり。 家の商売を見習い、青物屋を開かんとす。
若松町某生(14歳)
 学業丙操行丙
(兄は軍人)
一昨年在郷に行き、林檎を盗み喰いたり。 学校帰り、風雨に艱み居りし幼児を助けたり。 軍人となり、国家の為めに尽さんとす。
海岸町某生(13歳)
 学業乙操行乙
(農業)
或冬巡査に滑金を取上げられ、その夕方人参取りに行き捕えられて拳固をはられたり。 父の手伝いをして賞められしこと。
戦争の模様を父に話して聞かすること。
荒物屋を出したし。
若松町某生(14歳)
 学業乙操行丙
(古物商)
去年夏鉄道馬車を脱線せしめしこと。
その年の秋大根を取りしこと(畑より)。
最善の事も有りしようなれど忘却せり。 今後は奉公に行き、身を修むる積り。
注)『函館教育協会雑誌』第170号より作成。
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