通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第1章 露両漁業基地の幕開け
第2節 商工業の進展と海運・漁業の展開
2 函館工業の近代化への途
4 造船業と鉄工業

造船業と鉄工業に及ぽした経済的諸要因

明治後期の造船業と鉄工場

造船ブーム期の造船所

造船ブーム期の鉄工場

明治後期の造船所と鉄工場   P127−P130

表1−37 明治後期の主な造船所
造船所名
住所
経営者
営業内容
創立
島野造船所
西村造船所
(株)函館造船所
大竹造船所
岩岸造船所
船矢造船所
掘造船所
佐賀造船所
滝川造船所
竹田造船所
国永造船所
西浜町1
同上
同上
真砂町7
若松町114
同上
有川通49
大森町7
鶴岡町36
小舟町21
有川通り
島野市郎治
西村岩吉
浜根岸太郎
大竹宗政
岩岸久松
船矢早吉
堀玉吉
佐賀久七
滝川善佐
竹田要蔵
国永政次郎
汽船、帆船製造修理
同上
同上
同上
同上
磯舟、川崎船、三半船
同上
同上
磯舟
磯舟、三半船
木船
寛政2 *1
明治41 *2
明治44.2
明治37.12
明治35.4
明治37.8
明治38.7
明治30.4
明治25.5
明治43.2
明治24.8
昭和5年『函館区統計書』および『函館市統計書』より
注)*1 明治43年閉鎖 *2 明治45年閉鎖
 図1−3に示すようにこの時期の造船業は、時勢を反映して修繕工事が多い。主な造船所を表1−37に示したが、営業内容は西洋型船(帆船、汽船、以後洋型船という)と和船(磯舟、三半船、川崎船)の製造修理に分けられる。洋型船と和船では船体構造も製作法も異なる。和船の船大工棟梁は新潟県、石川県、福井県など日本海沿岸各地から移ってきた人達が多かった。洋型船の棟梁は、明治の初期にスクーナー型帆船や短艇を造った続豊治や島野市郎治らの造船所で、あるいは東京の造船所で修業した人達である。西村造船所は島野造船所に勤務後、東京の石川島造船所で技術習得した西村岩吉が、41年に設立した。汽船弁天丸、平穏丸(何れも200トン)を請負い、事業を発展させたが、45年、浜根岸太郎の(株)函館造船所(資本金1万5000円)に参加し、自らは工長として釆配を振るった。国永造船所は2代目政次郎の代で漁船の製造修理が主であった。岩岸造船所は石川県出身の岩岸久松が28年に鶴岡町で創業したが、火災に遭い35年に若松町へ移った。はしけや小型汽船の修理が主であったが、42年に小樽のタグボート奔別丸(34トン)を新造している。明治期の代表的造船所、島野造船所は43年、4代目市郎治の時に廃業した。また、目黒造船所を引継いだ大竹造船所も明治44年に廃業した。

図1−3 函館港の船舶の製造・修繕
『函館区統計書』『函館海運史』より作成
 40年8月、国永政次郎、岩岸久松、船矢早吉、三瀬浩ら35人は函館造船業組合の設立申請を行った。翌年の4月25日に認可されたが、初代組長は国永政次郎である。組合設立の目的は不安定であった造船価格の安定であり、このために(1)職工の賃金と実働時間を一定にする、(2)造船料金の均一化、(3)仕事の状況により職工の融通貸借を行う、(4)未加入の工場の職工は雇わない等を決めた(「函館造船業組合議事録」明治40年6月)。これでは日給を1円(12時間勤務)と決め新聞に広告した。なお、45年、2代目組長には岩岸久松が就任している。

高田鉄工所 大正7年(高田松太郎氏蔵)
 この時期の鉄工場の営業内容を分類すると(1)船舶用汽缶汽機製造、(2)硫黄釜の製造、(3)諸機械製造、(4)鍛冶業による船釘、船具、漁具、農具の製造となる。主な鉄工場の生産額や従業員数などを表1−38bに示した。船主は汽船の検査や修理のために、整備工場を決めていた。函館、高田、目黒、池田、山村などの鉄工場は専属の伝馬船を用意し、沖がかりで修繕にあたった。函館鉄工場は40年に火災に遭い真砂町へ移った。有江、星野の2鋳鉄工場は硫黄釜の製造で業績をあげ、高田鉄工場と共に函館で最も規模の大きい工場に成長した。当時、函館では効率的な硫黄精練法の研究が盛んで特許の取得や硫黄釜の改良が行われていた。星野鋳鉄工場は44年に(合名)星野兄弟商会となり、営業種目に鉄工製作、自転車販売を加えた。
表1−38 明治後期の主な鉄工場
a.創立年、営業内容
工場名
住所
工場主
創立
営業内容
大西鋳鉄工場
東鍛冶工場
有江鋳鉄工場
椎木鉄工場
星野鋳鉄工場
目黒鉄工場
高田鉄工場
山村鉄工場
大本鉄工場
祖浜鍛冶工場
山口鉄工場
上原鉄工場
深村鉄工場
池田鍛冶工場
伊藤鍛冶工場
本間銅器工場
大西器械工場
函館馬車鉄道(株)
伊藤鋳物工場
樺木鉄工場
函館鉄工場
北海道鉄道管理局函館運輪事務所付属工場
松風町
真砂町2
東川町217
西川町
東川町209
鶴岡町
真砂町3
同上
真砂町5
真砂町2
西川町48
豊川町41
豊川町
豊川町35
汐止町4
地蔵町40
豊川町
東雲町
旭町
栄町167
船場町
海岸町
大西伊三郎
東久吉
有江金太郎
椎木酉太郎
星野尚次
目黒徳次郎
高田松太郎
山村金蔵
大本松太郎
祖浜栄太郎
山口甚三郎
上原黍吉
深村吉太郎
池田勝右衛門
伊藤東右衛門
本間与作
大西伊三郎


樺木仁三郎
大竹宗政
明治42.6
明治30.9
明治18.3
明治32.3
明治30.3
明治41.9
明治30.5
明治37.5
明治30.2
明治41.3
明治39.9
明治40.9
明治42.10
安政年間
明治35.1
明治11.9
明治30.4
明治31.3
明治34.8
明治44.5
明治37.12
明治35.10
硫黄製錬釜、鉄柵
船舶用鉄具、船釘、汽器修繕
硫黄製錬釜および付属品
西洋農具、建築金物
硫黄製錬釜、諸機械、鍋釜
船舶諸機械、汽機汽缶
汽缶、船舶、陸上機械、缶詰機械
汽缶、汽機修繕、建築金物
船金具
陸上機械金物、船舶金物修繕
船舶陸上機械製作
諸機械修繕
農具、炉鍵、諸機械類
船舶用機械器具、鉱山建築用品
建築金物、鉱山用品
銅製風呂釜、銅器、澱粉機械
諸機械
客車用金物
諸機械
機械修繕
汽缶汽機器具製作
蒸汽機関車、貨客車、船舶の修繕
『函館区統計書』より
注)大西鋳鉄工場は明治44年、大西器械工場は同42年、函館鉄工場は同40年に閉鎖
b.その生産額と従業員
工場名
生産額(千円)
職工および徒弟(人)
明治39
40
41
42
43
45
39
40
41
42
43
44
45
大西鋳鉄工場
東鍛冶工場
有江鋳鉄工場
椎木鉄工場
星野鋳鉄工場
目黒鉄工場
高田鉄工場
山村鉄工場
大本鉄工場
祖浜鍛冶工場
山口鉄工場
上原鉄工場
深村鉄工場
池田鍛冶工場
伊藤鍛冶工場
本間銅器工場
大西器械工場
函館馬車鉄道
伊藤鋳物工場
樺木鉄工.場
函館鉄工場
北海道鉄道管理局函館運輸事務所付属工場


21.0



21.0






9.0
4.0
1.4
6.5
0.3


25.0


25.0



18.0






9.8
3.0
2.8
9.5
0.3





7.0



10.5






10.0
3.7
2.0
4.7
0.3
4.0


0.5
0.3
24.2
0.7
10.1
3.5
11.0
6.8
0.6
0.9
2.4
3.7

9.7







0.8
0.5
31.0
0.8
15.5
4.2
7.3
6.0
0.6
1.2
1.8
3.6
1.1









0.6
31.0
1.0
41.4
4.3
10.9
8.5
1.2
0.6
3.0
3.0
1.5
12.2





9

69.7

10




27






16
9
1
12



50

11




23





5
9
4
10
4





13




17






10
8
2
11
4
6


2
3
5
2
15
8
29
9
3
3
3
6

12







3
5
11
2
15
9
27
11
3
3
3
5
3








5
3
11
2
15
9
27
11
3
3
3
5
3









3
5
4
17
11
21
12
3
3
5
5
3
10





1

146
注)1 明治44年の生産額は記載ないので省いた。
  2 池田は42年から、東、祖浜は43年から鉄工場と名称を変えた。
 明治45年から大正7年にかけて函館築港工事が行われ、起重機、ウインチ、砕石機などが発注された。函館船渠は起重機を、星野兄弟商会は3トンウインチ、蒸気機関を納入した。また、北海道セメント(株)上磯工場の増設工事が41年にあった。これはドイツから購入した大型の回転窯2基の据付と上屋の鉄骨工事であるが、高田鉄工場がこれに従事した。同工場は、大正4年の大谷派本願寺函館別院の鉄骨工事にも携っている。35年に北海道鉄道鉄道(株)函館機関庫車輌修繕工場が、函館駅(海岸町に所在した旧駅・後の亀田駅)の側にできた。40年国有鉄道となり、44年には海岸町の新工場に移ったが、ここでは機関車、客貨車、船舶の修繕工事を行った。
 工場動力に、有江、星野、高田の工場では、6〜15馬力の蒸気機関を用いていた。他の鉄工場は41年、大沼銚子口の函館水電(株)水力発電所ができてから、1〜2馬力の電動機を使うようになったが、それ以前は人力、蓄力に頼っていた。しかし、工作機械の導入には熱心で、国産のみならず、アメリカ、イギリス、ドイツの製品も購入している。
 造船所は港湾に面した真砂町、鶴岡町、若松町界隈に多かったが、他は弁天、大森浜に点在していた。鉄工場は真砂町地区、西川町地区、東川、栄、旭町地区に多い。明治40年8月の大火は函館の西部地区の大半を焼いた。しかし、多くの造船所、鉄工場は市街地周辺の東部地区にあったので被災を免れた。
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