通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第1章 露両漁業基地の幕開け
第2節 商工業の進展と海運・漁業の展開
2 函館工業の近代化への途
2 業種別各産業の動向

製材・木製品工業

食料品工業

肥料製造業

製紙・印刷業

糸縷布帛工業

製網業

その他の工業

肥料製造業   P107

 明治40年に設立の北海道人造肥料(株)については後述するが、この他に明治45年設立の函館硫安合資会社と数工場の漁粕粉末製造所があった。硫安合資会社の工場は亀田村にあって、区内よりの人糞尿と上記の人造肥料会社よりの硫酸消石灰を原料として、硫酸アンモニアを製造する計画で資本金3万6000円であった。ところが創立後、農民の反抗にあい休業状態が続き(同前)、大正4年からの消息がたえている。海産肥料は大正6年には3工場で32万2000円と急激に生産額を増加して農家の需要に応じている。大正7、8年には5工場となり、5馬力を導入して職工数は5人程度であった。
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