通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ |
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第13章 社会・文化諸相の光と影 芸娼妓の解放 |
芸娼妓の解放 P1395−P1397 ディッキンズの指摘によりにわかにざわめきたった政府は、人権上の立場からあるいは婦人解放の立場からではなく、あくまでも政府の外交上の体面から表面的な芸娼妓解放への動きを始めたのでる。これまで遊女や飯盛女、女芸者の類の営業は旧例にならい、直接あるいは遊女屋を経て間接に税を納めることで認可され、それらの収入は政府へ上納されていた。しかしマリア・ルーズ号事件が起き、これら人身売買の類の営業との関係を断ち切ろうとした政府は、5年9月大蔵省達127号を達し「遊女・飯盛・食売女并女芸者ノ類、旧来税金収入ノ上差許来候向モ不少、間々不都合ノ儀」もあるので、税金は「本年ヨリ上納ニ不及」、その収入高の報告だけをするように、また税額の増額・免除なども「伺出ニ不及、府県限リ処置致シ不苦」と、公娼制度を全く地方庁責任の問題にすり替えてしまったのである。こうして上がってくる税金の管理主体である各府県に公娼制度の管理を転化したうえで、政府は翌月の5年10月2日太政官布告第295号(『太政官日誌』)をもって次のような芸娼妓など年季奉公人の解放を布達した。 一、人身ヲ売買致シ終身又ハ年期ヲ限リ其主人ノ存意ニ任セ虐使致シ候ハ人倫ニ背キ有マシキ事ニ付古来禁制ノ処、従来年期奉公等種々ノ名目ヲ以テ奉公住為致、其実売買同様ノ所業ニ至リ以ノ外ノ事ニ付、自今可為厳禁事 太政官布告と司法省令それに大蔵省達により芸娼妓は解放され旧来の政府公認の公娼制度は廃止された。しかしこれらの布告や達はあくまでも人身売買の禁止と芸娼妓の解放を達する布告であって、決して公娼制度そのものを否定するという布告ではなかった。つまり公娼制度それ自体が廃止されたわけではなく、以後は管理主体が地方庁へ移り地方庁公認の公娼制度の整備、確立へと動いていったのである。さらに政府は確かに借金による人身売買の強制は禁止したが、彼女たちの自由意志による売女営業の継続までを禁止したわけではなかった。そのため芸娼妓の「自由意志による営業」という抜け道のもとに、この地方庁公認の再編成された新しい公娼制度・集娼制度は、わずか1年足らずで各地の遊里へ再現されていったのである。 では次に北海道そして函館での「解放令」への対応と、新しい公娼制度確立への過程を見ていこう。 |
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