通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ |
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第12章 医療機関の設置と衛生 院舎の変遷 |
院舎の変遷 P1371−P1373
ところが、新築して7年めの11年12月、山上町常盤座から出火した火事は院舎を襲い、病院は焼け落ちてしまった。それでも仮の家屋2か所を病院と病室にして診療はなんとか続けられた。しかし翌年12月にこの仮病院と病室はまたしても類焼してしまったのである。12月16日の「函館新聞」をみると「函館官立仮病院類焼に付ては、当分同所構内裏長屋に診療所を設け」従前通り診療するという記事があるので、再度の火災にも関わらず診療は続けられたようである。しかし官による院舎の再建は行われることなく、13年になるとついに病院の廃止が決定されたのである(明治13年11月28日「函新」)。官立病院の廃止は全道的な動向であって、10年には21のうち、8病院が廃止されていた。これに対し地元の有志者たちは、公立病院として新築しようと、渡辺熊四郎らが率先して行動を起こし、多くの人々の寄付により14年中に新病院が落成した。「函館新築公立病院寄付金願書綴込」という綴りにある寄付者は、252名で上は30円から下は50銭までを拠出し、総額1265円70銭を集めた。建設された場所は現在の市立函館病院のある所である。これは公立函館病院と称された。医員の報酬はこの以後も官費から支給されたし、当面は器具類なども開拓使から下付されるなどの援助があったが、15年下半期からは区内協議費に予算が計上され(明治16年「区会議事録」)、名実ともに区の病院となったといえよう。
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