通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ


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第9章 産業基盤の整備と漁業基地の確立
第2節 諸工業の発展
1 函館船渠会社の成立

創業総会までの経歴

創業総会の議事

創業時の経営

函館の経営者

 明治29年6月13日、東京日本橋の銀行集会所で開催された函館船渠株式会社(以下では船渠会社と略す)の創業総会は、創立委員長渋沢栄一による創業事務の報告から始まっている。その冒頭は次の通りである。「函館ニ船渠ヲ築造セントスル計画ハ遠ク明治十一年ニ起リ、爾来十数年間、其経歴報告スベキ者少ナカラズト雖モ、今茲ニ之ヲ陳述スルハ頗ル冗長ニ渉ルヲ以テ、詳細ハ記録ニ就キ閲覧ヲ請フ事トナシ、私設会社ノ目論見ト為セシ以来ノ要ヲ摘ミ、之ヲ左ニ報告ス」とした上で、28年8月以降、29年6月12日に至る創立の経過を述べた後、議事に入っている。

創業総会までの経歴   P1073−P1079

 船渠築造に関する明治11年以来の動きは、第5章第2節函館港の行詰まりと改修および第9章第1節第2項造船業の発達の箇所で説明されているが、弁天砲台の下付(陸軍省の所管であったが、明治20年に廃止されたので旧砲台と称されていた)と船渠の築造とが連動する構想で進んでいた。明治23年11月、函館区会の決議により道庁へ提出された出願書には、次のように記されている。「本港ノ改修ト船渠ノ設立トニ就キ、屡之ガ調査ヲ為セシニ弁天砲台ヲ包含シ、燈明船ノ方位ニ向テ築出地ヲ設ケ……船渠ヲ設クルハ一挙両得ニシテ最良ノ計画ナリ」。
 ところで、船渠の規模とこれを保有する会社の形態が明確になり始めるのは、明治25年の「函館港湾浚渫築修並ニ船渠設置意見上申書」(以下では設置上申書と略す)からである。これは区会で選挙された港湾改良調査委員である平田文右衛門、平出喜三郎、遠藤吉平、杉浦嘉七、久保扶桑が作成の上、道庁へ提出したもので、船渠会社に関するところは次のようである。

一 弁天町砲台函館区ヘ御下付ヲ請求スル事
    追テ当区ヘ下付ノ上ハ船渠会社ヘ基本トシテ引継ク事
一 船渠会社創立、砲台下付及ビ浚渫工事許可ヲ俟テ、当区主唱者発起トナリ、拡ク有力家ノ株金ヲ募リ組織スル事  
一 別紙図面ノ如ク埋立ハ浚渫ノ泥砂ヲ本トシテ、其周囲ニ堅牢ナル「コンクリート」製ノ海壁ヲ船渠会社ニ於テ築立此埋地請願ノ権ヲ函館区ヨリ船渠会社ニ相当ノ約束ヲ定メ譲渡ス事
一 函館区ハ此希望ノ設計ニ拠ルベキ船渠会社ノ創立ヲ幇助誘導ナシ、同社ニ下付得タル砲台及埋立ノ請願権ヲ引継クノ為メニ、其報酬トシテ船渠会社ノ純益ヨリ区内共有財産ニ向ケ相当ノ配当ヲ得ベキ事

 以上、区が主体となって出願してはいるが、この頃区の財政は、水道、学校、病院、道路等への支出が嵩み、船渠事業を区が直営する事は無理であった。そこで浚渫工事は道が、埋立工事は区が、船渠工事は船渠会社がそれぞれ負担して実施する方式としたのである。区民のなかには、埋立地より生ずる利益を船渠会社が独占するものという声もあがっていた。したがって、請願権の報酬として、船渠会社に利益ある場合に至っては、永く区内共有金へ配当をする事が義務づけられていた。予算案は表9−13で示したが、埋立及船渠惣入費約128万円から、埋立地所8万7898坪の売却代金59万7111円を差引いた68万2640円が船渠会社の負担すべき金額であった。船渠会社はこれを固定資本とし、さらに16万7360円の営業運転資本を加えて、資本高85万円と想定されている。ところで、船渠の規模は設置上申書によると、「船渠ハ大小二ヵ所ヲ設ケ、商船及ビ軍艦ノ入渠ニ適スル鉄工場ヲ設ケテ新造修繕ノ用ニ供シ、国家有事ノ日ニ当リテハ、北辺海事ノ御用ニ足ルベキ準備ヲ為ス事」とあって、大船渠は平均1600トン、小船渠は平均1000トンの艦船入渠が可能の計画(横浜船渠がモデルとされた)であった。そして、工事期間は着手より落成まで3か年の見込となっている。なお、収支の予想は表9−14の通り1か年約46万円の収入で、利益金6万2397円は資本高85万円に対して、7.3パーセントに相当する。
表9−13 函館港湾修築改良船渠設置に関する計画予算

弁天岬 159,852坪埋立費
船渠及小艇引揚場並に造船台築造費
各工場建築費
諸器械購入代価
予備費
合計

497,535.885
340,000.000
203,457.000
177,817.780
60,940.533
1,279,751.198
売却地所代収入
船渠会社固定資本




合計

597,110.900
682,640.298



1,279,751.198
明治25年11月「函館港湾浚渫築修並二船渠設置意見上申書」より作成
表9−14 営業収支予算

支出
積立金及賞与
益金

365,459.700
29,363.296 62,397.004

収入

457,220
合計
457,220.000
合計
457,220
明治25年11月「函館港湾浚渫築修並二船渠設置意見上申書」より作成
 道庁技師広井勇等による修港船渠新設の調査は25年11月から再開され、27年12月に完了したが、この調査・設計は翌28年に作成された創立目論見書の基礎となっている。その船渠に関する部分を引用する。

本港ニ築設セントスル修船渠ハ使用ノ便ト保存ノ容易トニ由リ干涸船渠トナシ、三千五百噸以内ノ船舶ノ修理ヲ施スニ足ルヲ目的トシ調査ヲ為セリ……如此船渠ヲ築設スルニ於テハ、当時本邦各地ノ汽船ニテ積量三千噸ヲ超ユル者、僅々三、四艘ナルト……現時本港ニ出入スル船舶多クハ、八百噸以内ニシテ千噸ヲ超ユルモノ僅々屈指スルニ過ギザレバ、如此大船渠ヲ充分ニ利用スベキノ時、蓋シ稀ナリトス、而シテ其築設工費モ二五万円ヲ下ラザレバ、現今函館ノ経済上起業実ニ困難ナリトス、依テ本船渠ノ築設ヲ後年ニ譲リ、先ヅ目下ノ需用ニ応ズル一千噸以内ノ船舶ニ充ツベキ船渠ヲ築設スルハ現時ノ形勢ニ適シ、他日大船渠ト伴フテ両々相利スルノ得策タルヲ確信セリ、大船渠ノ位置ハ本調査ニ由テ選定セシ箇所ヲ措テ他ニ適当ノ地アルヲ見ザルト、本港従来発達ノ度ニ徴シ将来ヲ察スレバ、大船渠ノ必要ヲ見ル蓋シ十年ヲ出デザルベケレバ、今ニ其地ヲ劃シ、小船渠ハ造船場見込地内ノ一方ニ於テ之ヲ設クルモノトス、此一千トン以下ニ充ツベキ船渠ニハ工費ノ少キト使用ノ利便ニ由リ、修船台ヲ建設スルモノトス
                                                    (『函館港改良工事報文』)

図9−2 埋立予定図

「函館船渠株式会社四十年史」より
 このように、広井技師は大船渠(総噸5000トン収容)は10年もたたないうちに必要となるだろうが、現時点では経済上からみて、1000トン以下を収容できる修船台の建設でよいというのである。そして大船渠設置の場合、その費用は47万円、修船台築造費は9万円と計算を立てている。広井技師の調査・設計に基づく埋立予定図を図9−2で示した。
 以上、区会出願書、船渠設置意見上申書、広井技師調査・設計と述べてきたが、これが創業総会において渋沢委員長が陳述を省略した期間のうち、20年以降の主な経歴である。

28年の動き

 さて、渋沢委員長の創立事務報告にならって、記述を明治28年以後に進めよう。
28年4月に、日清戦役は終了し、諸事業拡張の機運が高まった。船渠築設の運動は進展するが、内務省より港湾改良事業(浚渫・埋立)はすべて函館区の負担とした方がよいとの注意があったので、港湾浚渫埋立費83万円のうち、不足金30万円は国庫補助を受ける請願をおこすこととなった。平田文右衛門が請願委員として上京している。かねて船渠築設は港湾改良事業と連動する方針であったから、8月26日には、船渠会社創立発起人平田文右衛門外5名より、区長へ「船渠予定地払下予約ノ件ニ付願書」が提出された。この願書はすでに前年3月の臨時区会で決議された「防波堤内ニ船渠予定地ヲ置キ、其一二、五〇三坪ヲ船渠会社結合ノ上ハ之ヲ売渡スモノトス」をふまえたもので、願書中には「本港改良工事着手ニ先立チ、当社ヲ創立シ……土切落成ノ上ハ直ニ会社ヘ御譲渡被成下度、今ヨリ御予約相成不申候テハ、会社設立ニモ差支候間……」の文言がみえる。8月30日には願書に対する許可の指令(函館区長命令書)がおりたが、次の内容となっている。

防波堤中、埋立地所、船渠会社へ売渡価格及方法等ハ埋立成工シ、船渠会社成立ノ上、協議決定スルモノトス……売渡地所ノ部分ニ属スル埋立工事ニ費シタル実費ニ依リ之ヲ定ムルモノトス

 船渠予定地売却の予約決定が成立したので、9月1日、32名が出席した発起人会が開催され、資本金80万円を以て会社創立の出願をすることになった。創立委員は、渡辺熊四郎、平田文右衛門、久保扶桑、遠藤吉平、伊藤一隆、和田惟一、小川為次郎の7名である。創立事務所を郵船会社函館支店内におき、発起申請書(創立趣意書を含む)は道庁を経由して、農商務省へ提出された。
 上述のように、港湾改良事業に国庫補助金30万円交付の請願がおこされていたが、一方、船渠会社でも40万円の国庫補助を請う方針をたて、「船渠会社創立ニ付、一時補助金御下付請願書」を9月中に、内務、海軍、逓信各大臣、ならびに道庁長官へ提出した。この補助金下付請願書の計画予算と前述した創立趣意書の計画予算を表9−15・16で示した。当然のことながら、資産の部の大船渠の有無が両者の差40万円を生み出しているが、両者が大船渠をどう考えていたかを明らかにしてみよう。
 まず、創立趣意書では、次のように述べられている。
表9−15 創立趣意書資本使用内訳

諸工場倉庫敷地
船架台及造船台
鉄工機械
予備費
営業運転資金

251,549.00
86,830.63
202,817.78
30,000.00
228,802.59

資本金

800,000
(16,000株×@50円)
合計
800,000.000
合 計
800,000
明治29年『函館船渠設置之沿革』より作成
表9−16 補助金下付請願書資本使用内訳

地所諸工場倉庫
船渠船架造船台
諸機械
運転資金
予備費

251,549.00
555,758.76
202,817.78
159,874.46
30,000.00

資本金
補助金

800,000
400,000
合計
1,200,000.00 合計 1,200,000
明治29年『函館船渠設置之沿革』より作成

今ヤ本港改良工事設計既ニ成リ、旧砲台近方海面ヲ埋メ、一大防波堤ヲ築設セントスルニ至レリ、此地タル海底頗ル堅牢ニシテ最モ船渠ニ適セリ、乃チ多年ノ計画ヲ実施スベキ好機会ヲ得タルヲ以テ、爰ニ船渠会社ヲ創設シ、船舶ノ製造修理ノ需要ニ応ゼントス、其資金ヲ概算スルニ別紙ノ如ク金一二〇万円ヲ要ス……此ノ如キ巨額ノ資金ヲ投ズルモ、遽ニ収支相償フニ至ル能ハズシテ、其損失頗ル大ナルベキハ固ヨリ瞭然タレバ、姑ク大船渠ヲ設ケズ、資金五〇万円ヲ目途トシ、単ニ修船台ノミヲ設置シ、之ニ適当スル機械工場ヲ整備シ、此事業ヲ開始セントス

 これによれば、上述した27年の広井技師の調査・設計に依拠した計画予算であることがわかる。
 ところが、補助金下付請願書では一転して大胆な構想となる。

然ルニ今此会社ヲ創設スルニ当リ只管収支ノ点ニノミ着目シ、其設計ヲ目下ノ需要ニ応ズル必要ノ部局ニ止メ、其船渠ノ如キモ僅ニ修船台ノミヲ設ケ、之ニ相当スル機械工場ヲ設置シ、以テ起業ニ着手センカ、其収支ノ点ニ於テハ恐ラクハ相当ルヲ得ベシト雖モ、退テ東京以北、北海道方面ニ於テ船渠ノ効用ヲシテ十分ニ全カラシメントスルニハ独リ此ノ如ク目下ノ会計ニ拘泥シ姑息ノ設計ニ安ンズルコト能ハズ、是ニ於テ其規模ヲ一層大ニシ、船渠ノ大サヲシテ大凡三千五百トン内外ノ船舶ヲ入ルルニ足ラシメ、之ニ付属スル機械工場等ハ一切之ニ適スル者トシテ其設計ヲ為シタルニ……資本金額一二〇万ヲ要スル計算ニ御座候、而シテ今日ノ場合、此ノ如キ巨額ノ資金ヲ投ジ此業ヲ起スモ、遽ニ相償フニ至ル能ハズシテ、其損失ノ頗ル大ナルベキハ固ヨリ瞭然ノ事ニ可有之、去リトテ之ヲ姑息ノ設計ニ止メン乎、私共国益ノ万一ヲ裨補スル為メ此業ヲ起スノ素志ニモトリ……資本金額一二〇万円ノ内、四〇万円ヲ一時本事業ニ対スル御補助トシテ御下付被成下度奉願候、左候ハバ固定資本ヲ減少スルノ故ヲ以テ、茲ニ始メテ計算上些少ノ利益ヲ見ルニ至ルベク……

 とあって補助金40万円の交付により、大船渠築造の素志が実現できることを訴えている。

29年の動き   P1079−P1080

 29年2月、港湾改良工事補助金は、30万円を20万円に削減されて議会を通過したが、船渠工事補助金は道庁長官に賛意がなく、また各省予算確定閣議の際に、海軍大臣より提出され、3、4の大臣の賛成があったものの、内務大臣より株式会社に対する無規定の保護は許可すべきではないとの反対があり、遂に採用されなかったと伝えられている。補助金がなければ会社設立を断念する目論見であったが、28年から請願運動に上京していた平田、小川は、渋沢栄一をはじめとする有力実業家と接触した折、補助金下付に関係なく会社設立に援助を与える意向を確かめていたので、2人は帰函の上、28年11月に発起人会が開催された時に、東京の実業家と提携して会社設立する旨を諮り、その方針が確定されていたのである。
 29年2月、東京発起人会が開かれ、さらに発起人を募集すること、従来の補助金下付請願の方針を改めること、資本金120万円の純然たる私設会社として起業することが決議された。そして、前年、函館発起人総会で決議された事項のうち若干が修正され、東京創立委員として渋沢栄一、近藤廉平、大倉喜八郎、園田実徳、阿部興人の5名が挙げられ、函館創立委員の7名と合わせて12名が創立委員となった。
 前年作成された創立趣意書には資本金80万円とされていたが、今回は120万円に修正され、表9−17の如く営業収支が予定された。1か年63万余円の収入のうち、仕事高収入が約40万円見込まれているが、その説明として、「函館真砂町造船所ノ現状ヲ見ルニ、船渠及修船台の設ケナキモ、猶一ヵ年平均七万円余ノ工業受負高アリ、故ニ此ノ如キ完全ナル設置ノ整備スルニ至ラバ、之ニ六、七倍スル工業受負高アルハ蓋シ疑ナカルベシ」と書かれている。そして、資本金120万円に対して、純益は10万余円、1か年9.1パーセントの利益率と予想している。
 以上のような東京発起人会の決議を携えて帰函した平田等は、29年3月、函館発起人会を開き、東京発起人会の決議は承認された。当初は函館のみの発起人会で会社を設立する予定であったが、国庫補助金を契機として東京発起人会が加わり、さらに大阪方面にも発起人を勧誘(阿部興人が担当)する手筈となった。三月の東京委員会で創立委員長には渋沢栄一、創立事務委員には阿部興人、平田文右衛門、小川為次郎、久保扶桑が推薦された。4月には大阪で発起人会が開かれている。4月29日には、農商務、逓信両大臣より発起認可書の下付があった。5月の東京委員会で株式分配が確定したが、株数は函館、東京、大阪等で3等分されている(表9−18参照)。
 かくて6月13日に創業総会を開く準備が完了したのである。
表9−17 営業収支予算

支出
積立金及賞与
純益
合計

476,864.50
46,918.65
109,476.85
633,260.00

収入


合計

633,260


633,260
明治29年『函館船渠株式会社創立趣意書』より作成
表9−18 株式引受内訳
地名
発起人数
発起人株数
普通株主数
普通株主株数
合計
株主数
株数
北海道
東京
大阪その他
合計
60
24
21
105
6,760
7,440
2,900
17,100
28
27
45
100
785
1,800
4,315
6,900
88
51
66
205
7,545
9,240
7,215
24,000
明治29年『函館船渠設置之沿革』より作成
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