通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ


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第8章  金融界の近代化と整備・発展
第1節 金融機関の創設
6 地場銀行の設立

第百十三国立銀行の設立

第百十三国立銀行の営業状況

第百四十九国立銀行の設立

第百十三国立銀行の営業状況   P993−P995

 政府は明治5(1872)年10月、イギリスの銀行家のアラン・シャンドを紙幣頭の書記官として招いた。シャンドは「銀行簿記精法」「銀行大意」などを著述して、銀行経営の理論と業務の啓蒙を行い、実際に銀行実務を指導し、銀行の検査も行った。第百十三国立銀行も明治11年、開拓使より銀行創立を勧誘されたとき創立を企てたが、当時簿記に精通した者がいなかったので、とりあえず古山数高、菊地直を東京に派遣してイギリス人(スコットランド人−ロンドンのよい銀行家はみなスコッチであるといわれた)シャンドについて修得させた(前掲『日本金融制度発達史』、「函館に於ける銀行沿革」大正11年2月24日『函毎』)。
 同行の当時における経営方針は、シャンドの主張する健全経営にのっとり、主として市街宅地を担保として貸出した。これは経営者中に従来金貸業を営んでいた者があり、当時の金融事情に通じていたからでもある。
 明治12年1月6日ようやく営業を開始した。この銀行は本道に本店を有する最初の銀行で、場所は函館の末末広14番地で、東浜町より八幡坂に向って右側にあった。明治9年から13年の8月までは、函館に三井銀行出張店、第百十三国立銀行本店、第四十四国立銀行支店、第百四十九国立銀行の本店など、本店2行、出張店、支店2店と4銀行が設置された。函館金融界は次第に銀行により整調され、一般金利は低下の状態であったが、丁度このとき経済界は好況時で、物価騰貴に際会し、貸出利率は普通1割2分ないし1割5分であったが、銀行によっては1割8分を要求する所もあったという(「函館銀行界の変遷」大正11年2月24日『函毎』 )。

第百十三国立銀行

第百十三国立銀行紙幣
 第百十三国立銀行の公称資本金は15万円、紙幣の発行力12万円(1円紙幣及び5円紙幣の2種に限り発行を許される)である。資金の需要が頻繁で予想外の好成績をおさめたので、営業開始の明治13年に資本金5万円を増加して、合計20万円とした。「函館新聞」に同行の「半季実際報告」が明治12年以来20年まで掲載されている。借方、貸方の内容項目が途中で変更になる場合があって、その内容の整合が可能でないときもある。預金と貸付金の関係をみると、明治17年前半期からほぼ預金額が多く、オーバーローンから脱している。当半期純益金は明治12年上半季から1万円台、14年から20年まで2万円台を保持している。割賦金(配当金)は100円(1株)につき6円50銭から7円50銭で、明治12年から20年まで通している。
 支店は東京に設置し、その他3府をはじめ各地に為替取引の約定店があった。
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