通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ


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第2章 開拓使の設置と函館の町政
第2節 統治機関の創設と通信網の近代化
1 警察

箱館戦争後の治安担当

函衛隊から護兵隊へ

邏卒の仮設

函館邏卒正式発足

邏卒設置後の経緯

ハーバー殺害事件

函館県警察の発足

ハーバー殺害事件   P288−P289

 この函館警察の草創期最大の事件は、明治7年8月11日に起きたドイツ代弁領事L・ハーバー殺害事件である。秋田県士族の田崎秀親(22才)が外国人殺害の目的で来函、数日市内を徘徊の後たまたま招魂場(現護国神社)付近を散歩中のハーバーに出会い谷地頭道へ追い詰めて殺害(傷口25か所…検死報告より)したという事件であった。田崎はハーバー殺害後第3大区邏卒屯所へ自首したため、同所詰大邏卒岡島芳則、少邏卒東海林雄吉は取調の上、身柄を函館裁判所へ引き渡し、その旨杉浦誠中判官へ報告した。杉浦中判官は早速東京出張所、外務省へ速報すると同時に外事課長宮木経吉大主典を東京へ派遣することを決める(翌12日12時弘明丸で出発)一方、函館港碇泊船の出帆を差し止める(翌12日解除)など果断の処置がとられた。この時連累の者が10人ほども入港したとの風説も飛んだが、まったくの無根の浮説と判明した。田崎が自首後の供述で、日本が外国と和親条約を結んで以来、衰頽に向かっているのに憤懣を抱き、我が国のために1人の外国人でも殺害したいとの思いから開港場函館にきたと述べたこと、さらに滞函中にも天照大神が夢枕に立って「方今外国人猖獗廃帝論ヲ企ル間、秀親夫レ之レヲ速ニ刺セヨ」との啓示を受けたとも述べていたこともあって、田崎の単独犯行と断定、9月15日にドイツ弁理公使ブラント了承を得て、日本の法律(人命律謀殺条)に照らして斬罪にすることとなった。9月26日午前10時囚獄構内で、在留領事(イギリス兼ドイツ領事ユースデン、アメリカ領事ハウス、デンマーク領事デュース)立ち会いのもと田崎の処刑が行われた(「ハーバー事件関係書類」『函館市史』史料2)。
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