通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世


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第5章 箱館開港
第14節 生活・宗教
2 宗教

神社/寺院

堀川乗経の活躍/東本願寺の桔梗野開拓

キリスト教/民間信仰

堀川乗経の活躍   P698


明治初年ころの願乗寺
 乗経は南部下北郡川内の願乗寺に生れ、はじめ法恵と言い、のち乗経と改めた。天保12(1841)年17歳で蝦夷地に渡り、西本願寺の寺院が1か寺もないのを憂えて、本山に開教の策を進言、ついに小樽と箱館に寺院の建立を見るに至った。本山は初め但馬国専福寺の僧入真房大虫を派遣して、奉行所から貸与された濁川の土地55万坪の開拓を進めていたが、安政6年大虫が死去したので、乗経をその後任にあて、但馬・加賀・越前などから信者370余人を入植させた。ここにも願乗寺休泊所を設け、宣法庵と称したが、明治11年江差に移り江差別院となった。乗経の業績の最も大きなものは、箱館市中を縦断する堀川の掘割で、詳細は本章第9節に記したので省略するが、この功により願乗寺は幕府から墓地のほかに、1万2,118坪の土地を与えられた。また乗経はこの掘割を京の堀川とからみ合せて、自らの姓を「堀川」とした。

東本願寺の桔梗野開拓   P699

 安政6年、箱館御坊浄玄寺役僧の世話で、東本願寺では箱館奉行に桔梗野の開拓を出願、許されて「東本願寺開発場桔梗野」(別称、六条郷安寧村)と称して開墾した。間口1,500間、奥行軍川村境に至る数里(耕地約700町歩、秣(まぐさ)場約56万8,000坪)という広大さで、能登、越後、常陸、秋田、南部、津軽、江差などから21戸が入植、農具、食糧、住居、種子、家畜など箱館御坊で補助し、鑑札を与え、指導監督のために万延元年仏堂を建てた。これが現在の桔梗の宝皇寺である。同村こそ東本願寺によって出現した村である。明治4年政府へ上地した。
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