通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世


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第5章 箱館開港
第1節 箱館開港の経緯
2 ペリーの箱館来港

松前藩への通達

市在住民への触書

アメリカ艦隊の入港

艦隊の動静

旗艦ポーハタン号の入港

アメリカ士官との応接

士官らの市中見物

松前藩の回答書

勘解由の米艦訪問

ペリー提督上陸会談

幕吏の来箱/噴火湾及び室蘭港調査

2水兵の埋葬

箱館住民との接触/アメリカ人の見た箱館

写真撮影/松前藩役人に対する批判/艦隊の抜錨/遊歩区域の確定と批准

箱館住民との接触   P576−P577

 前にも若干述べたが、アメリカ艦隊の来舶中、その要請によって食料および薪水等をしばしば提供し、またアメリカ側からも若干の贈物を受けている。ことに乗組員の上陸見学などは比較的自由に行われ、問題とされた要望の建物についても、ホロン、ハイネなど司画官のためには、実行寺の一部を開放して提供している。その他、湾内の測量をはじめ、あるいは沿岸に上陸し引網を行い、時には当別村へ行き、村内を歩きまわり、名主の家へあがり込んで戸棚をあけ、茶や梨などを無心して銀銭を置いていったり、亀田村から赤川村まで行って名主宅で食事をしたり、かなり気ままな振舞もあったようである。
 ペリーは、はじめは彼我の折衝がうまく運ばないことに不満の意をもらしたこともあったが、しかし調査の結果、箱館港が予想以上の良港であることに満足し、特に2水兵の死に対し、礼を尽した便宜にも好感を持ち、感謝の意を表して箱館を去った。

アメリカ人の見た箱館   P577

 アメリカ人の目に映った箱館の景観もさまざまである。まず箱館市街の状況を「商業都市に普通な慌しい活動の様子がない。乗用車も荷車も道を通らず、商品を買うようすすめる商人の喧(やかま)しい叫声もなく、行商人が品物を叫んで売り歩くこともなく、一般の平和と静けさを破る騒々しい群集もいない。殆んどどこもかしこも静けさが街を支配し、ただ時々少年馬方が強情な運搬獣、即ち手に合わない馬や鈍重な牛に向ってわめき立てている叫声及び大官の侍者が主人の来る前に人民を平伏させようとする叫び声、又は多分附近の或る鍛冶場で働いている労働者の鉄槌の響などで破られるだけである。それでも尚荷をつけた馬が時々ゆっくりと街上を駆られて歩き、数百の舟が港内に投錨し、無数の小舟が同湾を勢速く滑って行き、二本の刀を佩(は)いた多くの立派な日本紳士及び役人が尊大に歩き廻ったり、立派な馬具をつけた馬に乗っているのを見る時、外国人は箱館が繁栄している町だという印象をうける。」(『ペルリ提督日本遠征記』)といい、「下田で見たような丸裸の男や、ふしだらな身なりをした女よりきちんとした人々を見ることは、さらに感じがよい。」(『ペリー日本遠征日誌』)ともいっている。しかも一方には、4月22日山背泊台場でのことであるが、彼らはその「大砲を見てはなはだ嘲弄し、両手を少しく開いて日本ポンといいて笑い、また両手を大いにひろげてアメリカドヲンといいて、鼻をつまみ面(つら)をしかめて驚畏の身ぶりし、又わが大砲一たび放さば箱館忽ち徴塵になるべき手真似をし、この大砲を指して小鳥をおとすによかるべきなどと手業(てわざ)して侮弄(ろう)−(中略)−さまざま手真似、身振り等して日本をさすは取る事易しという様子なり。」(平尾魯僊『箱館夷人談』)などのこともあった。
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