通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世


「函館市史」トップ(総目次)

第5章 箱館開港
第1節 箱館開港の経緯
2 ペリーの箱館来港

松前藩への通達

市在住民への触書

アメリカ艦隊の入港

艦隊の動静

旗艦ポーハタン号の入港

アメリカ士官との応接

士官らの市中見物

松前藩の回答書

勘解由の米艦訪問

ペリー提督上陸会談

幕吏の来箱/噴火湾及び室蘭港調査

2水兵の埋葬

箱館住民との接触/アメリカ人の見た箱館

写真撮影/松前藩役人に対する批判/艦隊の抜錨/遊歩区域の確定と批准

市在住民への触書   P553−P557

 この時布達した触書は、極めて長文なものであるが、当時の状況をよくあらわしているので、その全文を掲げると次の通りのものであった。

           触書
 先頃武州神奈川沖え渡来の亜墨利加船、箱館湊見置度き旨申立これ有り候由、右に付いては近々入津の程も計難く候。依て心得向兼て申渡候間、急度相守り申す可く候。
一 亜暴利加船当沖合に相見え候御合図承り次第、町々在々人足共、早々役所並びに銘々承りの場所え駈付申す可く候。
 但、風筋に寄り、御合図届兼候向もこれ有る可く候間、市中に受継、盤木を打、端々迄告げ申す可き事。
一 異国船渡来の節、浜辺へ罷出、或は屋根上等へ登り、見物致し候儀、堅く相成らざる旨、兼て仰出されこれ有、一同心得居候筈に候えども、亜墨利加船の儀は別段の儀抔と心得違いたし、見物に出候ては、以ての外の事に候。若し右様不埒の者これ有り候に於いては、申開の有無に拘わらず、取押え、入牢申付く可く候。
一 亜墨利加船滞留中は、人夫相勤め候ものの外、商用たりとも小船にて乗出し候儀は勿論、海辺へ罷出徘徊いたし候儀、堅く御制止仰せ出され候。若し心得違の着これ有るに於いては、仮令異船へ近寄り申さず候とも、見当り次第取押え、入牢申付く可く候。
一 当澗居合の船は大小とも此節より残らず沖の口役所より内澗の方へ繰入、相互にもやひを取、並能く船繋いたし居、沖合へ異船相見え候合図次第、船頭共は船中を取締らせ、銘々元船え乗組居り、若し余儀なき用事これ有り、橋船にて陸地へ往復の節は、船宿より沖の口役所へ届出申す可く候。近々入津の船にも、右の振合にいたし申す可く候。自分勝手に碇を入れ、振り掛りなど致し候儀相成らず、勿論、異船退帆これなき内は、出入堅く相成らず候間、自他の船頭共え、船主、船宿共より急度申渡す可く候。万一異国人共澗懸の船へ漕寄せ候儀これ有り候とも、決して取合わず、早々元船へ乗帰り候様、手真似にて相諭し、近付け申す間敷は勿論、此方より橋船にて異船へ近寄らざる様、下手の者共へ厳敷申付く可く候。若し心得達の者これ有るに於いては、早々取押え、入牢申付く可く候。
一 亜墨利加船下田へ相越候節も、上陸の儀決して相成らざる旨、公辺より仰渡されこれ有り、彼等も上陸致さざる趣申立候由に候得共、下田滞船中は度々上陸いたし、尤も乱妨は致さず候えども、所々徘徊いたし、猥りに人家へ立入り、食物等乞求め、或は婦女に目を掛け、小児を愛し、寺院抔には長坐いたし候由相聞え候得ば、当湊え入船の上は上陸も致すべき哉。一体亜墨利加の者共は、婦人を目がけ、其上欲心深く候由に候間、万一上陸の上は、不法の儀これ有る可き哉も計り難く、殊に至て短気の生れ付にて、聊にても彼等の意にさからい候へば、立腹いたし候由、万々一右等の所より争端を聞き(開き)候様の儀これ有り候ては、公辺より厚く仰せ達せられ候御趣意に相振れ、恐入事に候間、如何様の儀これ有り候とも、穏やかに申宥め、さからい申す間敷候。右に付仰出され候通、町々婦人、小児の儀は、大野、市の渡最寄在々にて親類、身寄これ有る向は、早々引移し申す可き筈に候得ども、左候節は数多の御百姓、格別混雑いたし、一方ならず難渋に至り候間、立退の儀は御猶予成し下され候はば、老若に拘わらず、婦人共は一切外出致させず、急度取締り候様取計らい申し度き段、町年寄共申立の趣、余儀無く相聞え候に付、願の通り仰出され候条、銘々厚く心得、不束の儀これ無き様、厳敷申付く可く候。万一御手数の品出来候節は、重き御咎め仰付けらる可く候。
一 山背泊近辺、築島、桝形、其外亀田浜、七重浜等は、場末にて何分不安堵にもこれ有り、且つ人家も少なく候得ば、夜分抔密に上陸の程も計り難く候間、婦女子の分は老若とも残らず、男子にても十二、三歳以上の者は、最寄山の手辺へ所縁を求め、近々の内、早々立退かせ申す可く候。尤難渋の者えは、相応の御手当下し置かる可く候間、町役人共より申立つ可く候。
一 御城下並在々、江差辺又は他国より相越逗留致し居り候者共、取調の上、早々用事相片付けさせ、帰郷致させ申す可く候。別して遊民体の者は、早々立払わせ申す可く候。
一 異船滞留中は、牛飼の者共、箱館市中並びに海岸辺の村方へ、牛にて諸荷物運送致す間敷候は勿論、浜辺近き野山へ放し候儀堅く相成らず候。
一 炭、薪、青物類は、日用品の事故、近在より馬にて附出し候儀は苦しからず候得共、異人共、馬の蔭を見掛候はば、直様村方まで附纏い、如何の儀これ有り候ては宜しからず候に付、異人共上陸の様子承り候はば、馬士並びに在々の者共は、途中より早々引返し申す可く、又用済にて帰村の人馬も、同様相心得、申達候迄は市中に控居り申す可く候。
一 酒の儀は、異人共殊の外好物の由、聊にても呑ませ候得ば、手荒の儀これ有る由に候間、一切目にかからぬ様悉く蔵入いたし、聊にても店先へ差置申間敷、尤も売買の節は、蔵内にて取扱申す可く候。
 但滞船中は、居酒屋一切停止の事。
一 呉服店、小間物店等は、取片付置き申す可く、尤も餅、菓子、其外草履、草鞋等の売物は、店先へ差置候ても苦しからず候得ども、彼等の望候を与えず候得ば、不本意に存じ、自然角立ち候様の儀これ有り候ては、以ての外の事に候間、食物に限らず、差支これ無き品は、無心いたし候はば、相与え申す可く、若し返礼品差出候とも、一応は差戻し、強て差出候様子に候はば、其品預り置き、早々町役所へ差出し申す可く候。遣わしがたき大切の品は、急度隠し置き申す可く候。
一 異国船湊出入の節、土地の様子を試候ため抔に発砲いたし候儀もこれ有る趣に付ては、亜墨利加船とても同様発砲いたし候の儀にこれ有る可く候間、此段兼て心得居り、万一右様の儀これ有り候とも、一同しづまり居り申す可く、若し心得違いたし、騒立候者これ無き様、下々の者共まで能々相諭し申す可く候。
一 市中端々に至る迄、海面見渡しの住居向は、何れも戸障子へ急度締りを付け、建合の処へは目張等致し置き、決して覗き見いたす間敷候。若し万一心得違いたし、二階、格子、煙出し等より、沖合又は異人上陸致し候節差覗き候者これ有るに於ては、召捕、入牢申付く可く候。
一 火の元の儀は、触達候迄もこれなく、何れも心を用い候儀には候得ども、猶又一際念入れ申す可く、且つ夜分は無提灯にて往来相成らず候間、小前下々へも申付、異船滞留中は別して取締向行届き候様致すべく候。
一 年回仏事等相当り候とも、異船滞留中は差延べ申す可く、且つ万一新喪これ有る節は、葬具等格別手軽に致し、男子計にて夜分物静に墓所へ葬送致す可く候。追善も右に準じ、穏便に相営み申す可く候。
一 異船滞留中は、観音、薬師、愛宕、七面等の山々にこれ有り候神仏への参詣致し候儀、堅く御差止仰せ出され候。
一 音曲所作に致し候者にても、異船滞留中は、堅く御差止仰せ出され候。
一 異船滞留中、市中に於いて取留めざる風説等、堅く致す間敷候。
右の通仰せ出され候条、堅く相守り、下々に至る迄、相諭し申す可く候。若し心得違の者これ有るに於いては、当人は申すに及ばず、名主、年寄、町代、親類、組合迄、急度御咎仰せ付けられ候間、其旨心得、厳敷申付く可く候。
右の趣、在町洩れざる様相触れらるべく候。
       寅四月

 この触書によると、アメリカ人を多欲、短気な者とし、外国船の滞泊中は婦女子の外出を禁じ、場末にあっては婦女、小児を近くの山の手辺に避難させ、牛、酒、呉服、小間物その他大切な物は目にふれないようにし、港には小船の往来を禁じ、陸には馬の出入りをやめ、見物はもちろん海に面した戸や障子は、ことごとく目張りさせてのぞき見を禁じ、箱館山における神仏参詣や年回仏事を制止し、葬儀は夜間物静かに行わせるなどすこぶる詳細にわたったもので、当時のアメリカ人に対する一般の認識、ならびに松前藩の態度を知ることができる。
 箱館では山背泊から町端の桝形辺まで、海上から市中を見通しまたは上陸出来ないよう、一面高さ7、8尺(約2メートル余)の板塀を建て、沖ノ口前と秋田屋という町家の前だけを明けておき、町ごとに木戸を設けて施錠し、社寺は貴重品を隠し、鐘を鳴らさず、婦女や小児を大野村やその他の地に避難させる者もあって混雑を極め、有川、戸切地(へきりち)、三谷(みつや)、富川などの諸村では、婦女、小児をすべて山手に隠した。
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第1巻第3編目次 | 前へ | 次へ