通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世


「函館市史」トップ(総目次)

第2章 松前藩政下の箱館
第7節 宗教・文化・生活
1 宗教

良忍上人の渡来説/日持上人の渡来説/随岸寺

神社/河野館館神

寺院

箱館山の薬師信仰/下海岸方面の社寺/円空・空念の渡来/キリスト教/供養碑の建立

寺院   P409−P410

 箱館の寺院については、前記のごとく随岸寺が松前に移ったあと、しばらくして亀田に2か寺が建立された。それが後に箱館港の発展とともにこの地に移転したものである。

高龍寺(曹洞宗) 寛永10(1633)年松前法源寺4世芳龍が亀田に1宇を建立(寺号公称年代不明)、宝永3(1706)年箱館(いまの弁天町)へ移った。『福山秘府』(近来寺社例部)によれば、この年7月1日役人が土地を下見して渡したことが記され、山号は現在国華山とするも、もとは国下山の字が用いられている。

称名寺(浄土宗)  正保元(1644)年、伊勢の僧円龍が来て亀田に建て阿弥陀庵といった。これを明暦元年に五念山阿弥陀堂と改称し、更に元禄3(1690)年に護念山摂取院称名寺と公称した。松前光善寺の末寺で、『福山秘府』(寺院本末部)には元禄3年箱館(いまの弥生小学校西側)に移したとあるが、寺伝によると宝永5(1708)年6月11日移転となっており、宝永元年の僧空念の納経記録には、その時まだ亀田にあったことを記録しているから、寺伝の方が正しいと思われる。

実行寺(日蓮宗) 延享3年著『実行院開基』によると、明暦元年僧清寛なる者が草庵を結んだのが始まりで、元禄3年に荒木長吉が檀頭(だんとう)となって堂宇を改め、時の庵主日浄を開山として松前法華寺末となったとあるが、『福山秘府』(寺院本末部)には、元禄12年「與庵地延享年中寺号」とある。寺名は実行院と通称されていたこともあり、宝永6年に、幕府巡見使が来て聞かれたら実行院と答えるよう、藩から内命が出ている。また、正徳4(1714)年京都本満寺から寺号を許可され、その時富岡町の地に移ったとわれているが、『箱館夜話草』には裏町(「大町、弁天町、本町通りの裏なれば、かく呼びしとなり」)にあったように述べられており、そこは檀頭荒木の隠居家であったと記している。

浄玄寺(浄土真宗、現大谷派本願寺函館別院) 宝永7年に泉沢から、いまの弥生小学校東側辺に移って来たという。元来寛文8(1668)年に、松前専念寺6世浄玄が木古内に建立(寛永18年説は誤り)、翌年蝦夷乱で焼け、元禄3年泉沢に再興されたが、箱館の繁栄にひかれて移転したものである。宝暦9年に専念寺掛所浄玄寺と公称した。

地蔵堂 『蝦夷実地検考録』には地蔵町にあって高龍寺持ちの地蔵堂で寛政7年建立とするが、元文元年に建立され、寛政7年再建ともいわれている。本尊は石地蔵で、『箱館夜話草』によれば昔は海辺に堂舎もなく立っていて、子供らが縄をつけて引きずり戯れて 「鼻かけ地蔵」といい、のち疱瘡で死んだ子らの埋葬地へ移し建てられたという。

「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第1巻第3編目次 | 前へ | 次へ