通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世


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第2章 松前藩政下の箱館
第5節 北方情勢とロシア使節の来航

ロシア人の南下/赤人ノッカマプに来る

寛政の蝦夷乱/幕府の御救交易

ロシア使節の来航

異国船の出没/箱館の警備

ロシア人の南下   P381−P382

 天明5(1785)年、同6年の蝦夷地調査によって、ロシア人がわが北辺に迫っている事実が、はじめて幕府にも明らかにされた。
 そもそも松前藩が、ロシア人の南下接近の報を聞いたのは、これより先、宝暦9(1759)年のことで、松前藩士湊覚之進が、厚岸に派遣されて滞留中、択捉および国後の酋長らから、一昨年(宝暦7年)クルムセ(北千島)におもむいたところ、赤衣を着た外国人が番所を構えて居住しているという報告を受けた。その後、渡来するアイヌたちからも、ロシア人が次第に触手を伸ばし、島伝いに南下しつつあったことは、すでに聞き知っていたのである。

赤人ノッカマプに来る   P382−P383

 ことにこれが安永年間に入り、国後場所請負人飛騨屋久兵衛の通詞林右衛門の口書によると、

 先年赤人渡来の儀御尋ねに御座候。此段私申上げ候。飛騨屋請負場所、下蝦夷地ノッカマフ(納沙布岬にあり)へ、上乗役人新井田大八殿、並に船中目付工藤八百右衛門殿、通詞のため私一同罷出候処、運上屋支配人兵吉死去、番人の内庄三郎その外三人罷り在り候。然るところ安永七(一七七八)戌年六月九日夕、蝦夷地船体にて二艘、異国人乗組み、外に水先として、ヱトロフ島の蝦夷一艘渡来仕り、浜近所に至り数挺の鉄砲打放ち申し候。蝦夷人ども何事とも知らず、殊の外に驚き騒動仕り候。程なく案内として同船に仕え来り候ヱトロフ島の蝦夷上陸いたし、蝦夷人どもへ申聞け候は、全く闘争の筋に御座なく、赤人共日本人に対面仕り度き由申すに付、同船仕り候間、皆々安堵仕るべき段申聞け候。運上屋よりも蝦夷人共神妙に仕り候様精々申聞け、ようやくしづまり申し候。それより赤人共上陸仕り、浜辺に小屋を掛け、それより赤人の通詞にて、シモシリ島住居の蝦夷人をもって申し候は、蝦夷地に日本人詰合い候由、兼て承知仕り候に付、対面下され候様相願い申し候。これによって其段上乗役人大八殿に相達し候。然るところ彼此手間取り候内、夜に入り候間、異国人に対面候儀、夜分はいかがわ敷く候に付、明朝対面致すべき趣相答候得ば、日本人此方に詰合い候由承知仕り、遠海罷り越し、不案内なる番所に著き仕り候得ば、夜分なりとも対面仕らず候内は、安心仕らず候間、是非是非対面下され候様、強いて申聞け候に付、運上屋へ召し呼び、大八殿対面仕り、即刻また仮小屋へ引取申し候。其夜鉄砲用意仕り、赤人ども四、五人右仮小屋え通夜仕り侯間、夜中私罷り出で、蝦夷共に理不尽なる儀、致さざる様厳しく申付、猶又赤人方にも安心いたし、相休み候様申し通し候得ば、右番人引取申し候。翌朝シモシリ蝦夷をもって、又々赤人申聞け候は、日本の産物交易仕り度候に付、少々仕入荷物御座候間、望みの通り御承引下され侯様申し来り候。此段大八殿へ申し達し候処、異国人交易の儀、一分にて挨拶相成らず、松前に罷り帰り、主人に申聞け候上、否やの挨拶仕るべく候間、当年は此より罷り帰り、明年夏に至りヱトロフ島にて、此方より否やの返答遣わさるべく候。これに依って此節は早々立退き候様申渡し候処、同十二日ノツカマフ出立にて、帰船仕り候。尤も赤人ども松前領主へ音物、書翰等差出し候処、則ち大八殿請取り、松前に持帰られ、右音物何品と申す儀、一向存じ申さず候。(『北門叢書』第1冊)

 これこそ蝦夷地本土に異国人として最初に交易を求めて来航したロシア人、イワン・オチェレデンを隊長とする一行で
あった。(高倉新一郎『千島概史』)
 松前藩では翌安永8年、上乗役兼ロシア人応対のため、松井茂兵衛、工藤清右衛門、浅利幸兵衛、並目付柴田勘兵衛、古屋文六、通詞三右衛門および林右衛門を派遣した。一行は4月29日松前を出帆、南部佐井港に入津してむなしく順風を待つこと数十日、ようやく霧多布に着いたのは8月7日のことであった。一方、ロシア人はエトロフに来て待ったが何の音沙汰もないので、船をクナシリに進め、更にノッカマプに至り、ついに厚岸のツクシコイにまで進めた。松井らは霧多布でこのことを知り、早速厚岸に引返した。そしてロシア人に引見し、異国交易の場所は長崎港1か所に限られ、その外は国法で禁じられているから、以後再び渡来してはならないこと申聞かせ、前年の書翰や贈物などを返し、固くロシア人の申出を拒絶した。また、このとき長々の滞船でもあり帰帆用の飯料として米15俵、ならびに酒・煙草など少々を贈ったが、ロシア人もその返礼のために、上乗役3人へ砂糖3包、目付2人に2包を差出したので断ったところ、是非受納してくれという、たっての申入れで少々のことでもあり船中の給わり料として受納したので、彼らは早速船に引取り帰帆の途についた(『北門叢書』第1冊) という。
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