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第2章 松前藩政下の箱館
第3節 商品流通の発達と藩政改革
1 場所請負制度の発生
場所請負と問屋株仲間/請負制度発生の原因
箱館六箇場所/箱館の請負人
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箱館六箇場所 P356−P358
これまで箱館港に入荷する産物は、亀田、箱館、尻沢辺、大森浜、志海苔、小安などの近郷の零細出稼人のものであったが、これが場所請負制度の発達に伴い、その範囲も拡大されていまの亀田・茅部の両郡に及ぶようになった。これを元文期のものと思われる『蝦夷商賈聞書』によれば、次の通りである。
一 トヱト申地、佐藤加茂左衛門殿御預り、出物赤昆布ウンカ昆布卜申大名物、黒昆布シノリ同前、フノリ、秋ノ猟ハ鮫、鰤、箱館ト申所之人間共、運上ニ申請支配仕、運上金之義年々不同、小船ニ而箱館江通江(ママ)
一 シリキシナイト申地、木村与右衛門殿御預リ、出物類右同断也。運上不同、箱館者共支配仕候。是も小船ニ而度々通江
一 イキシナイ並ニコブイ此両所、御家老蠣崎内蔵亟殿御預リ、出物類右同断。箱館者共運上二申請支配、運上金不同。
一 卜々ホッケよりヲサベ迄十里ハカリ、此間蝦夷村沢山二有リ、昆布大出所也。新井田兵内殿御預リ、運上金壱ケ年二四拾両宛、箱館者共運上ニ申請、二百石ハカリ之小船ニ而度々箱館江通江申候。
一 臼尻よりマツヤト申所迄、志摩守様江運上金揚ル。出物昆布ハカリ。小船二而村々より箱館江昆布積通江
一 カヤベト申地、北見与五左衛門殿御預リ、鯡・数子・昆布夏ノ出物。十月之初より膃胴臍(おっとせい)取申候。運上金弐拾両壱ケ年二指シ上ケ、亀田村卜申所ノ者共年々に商買仕候。
一 ヲトシ部、モナシ部、野田ヲイ此三ケ所、新井田権之助殿御預リ、出物鯡数子・昆布夏ノ出物。冬ハヲツ(ト欠)セイ沖より寄昆布ヒラヱ(拾い)囲昆布卜申、春大坂船共箱館江下り、右之昆布積申候。此カヤベヨリヲシャマ(ン欠)ベト申所迄、十月ハ皆々ヲットセイ取商、貫目形壱〆三、四百目迄松前公儀江御取揚ケ罷成、其外大キ成ハ皆御預リ方之分也。
右之地秋ハ生鮭も少々上ル、冬馬足之立間ハ馬二而戸切(ヘキリ)地卜申人間地江、内浦越卜申所より出ス、運上金権之助殿江上納、夏之内二百石斗ナル舟二而三度通、運上金不同。
以上のごとく、この地帯は、いわゆる箱館六箇場所と称し、ほとんど箱館の人びとが運上金を納めて請負い、産物は小船で箱館に出荷されて本州方面に販売されている。当時運上金が定められているのは、新井田兵内の知行地と北見与五左衛門の知行地だけで、その他は運上金不同とあり、収獲高に応じて上納されたと思われる。
ここでは場所請負人の名前はわからないが、場所が請負人の経営にゆだねられると、その生産構造も変化し、昆布採取ばかりではなく、鮫・鰤・鰊・オットセイ等まで漁獲されて、かくて場所とは、もはや旧来の交易を主体としたいわゆる商場ではなく、場所請負人の経営する漁場に変貌し、ひろく下北地方からの和人の出稼人まで収容して稼働させるとともに、また現地のアイヌ住民もこれまでの自主性を失い、請負人に使用される漁場労働者に転落しつつあった。
箱館の請負人 P358
こうして箱館に根拠を置く場所請負人も、その後、しだいに頭角をあらわし、天明6(1786)年の記録には次のように見られている。
ミツイシ
シブチヤリ
シツナイ |
場所 請負人 倉部屋太兵衛 |
ホロベツ |
場所 請負人 箱館村与左衛門 |
ウス |
場所 請負人 浜田屋兵右衛門 |
ヱトモ
アプタ
シツカリ |
場所 請負人 笹屋治兵衛 |
モナシベ |
場所 請負人 江口屋伊右衛門 |
カヤベ |
場所 請負人 角屋太郎右衛門 |
ヲサツベ
シリキシナイ |
場所 請負人 白鳥屋新十郎 |
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(『蝦夷草紙・別録』)
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このように箱館は、後背地帯である六箇場所をはじめとし、遠く東蝦夷地の場所場所まで箱館商人が掌握することによって、おのずから産物は箱館港に集荷され、一段と流通経済の伸長を示し、いよいよ重要な商港としての役割をもって発展につながってくることになる。
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