通説編第1巻 第2編 先史時代


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第4章 原史の時代
第4節 北大式と続縄文文化の終末

北海道大学農場の土器

北大式とその文化/北海道続縄文文化の終末

北海道大学農場の土器   P293−P294

 江別W式に無文の土器があり、同類の土器群を河野広道は「後北式E型」として区別したが、北海道大学構内の農場から出土した土器があり、これを江別式と異なる形式として「北大式」と名付けた。この土器は北大構内の竪穴から出土した深鉢形にその特徴が見られる。体部に縄文と沈線文があって口縁部に外側から内側に向けて刺突した点列文が並び、内側に突瘤(つきこぶ)文がある。体部から底部は無文で、底はやや小さいが安定している。内面に突瘤文のある帯状縄文の土器などには下半部に擦(さつ)文があったりするが、この土器群の小形のものは、無文が伴っている。小形土器には浅鉢、注口、把手付き湯呑み形などがあるが、底は平底である。大形土器は口縁部にわずかなくびれがあって、胴部が膨らむ深鉢形か甕形土器である。北大式の土器は、江別式土器の、帯状縄文が体部に施文されていたり、無文の小形土器で、江別式の注口土器に似たものが伴うが、江別式に見られなかった口縁部の刺突による内面の突瘤文が、前記のように大形土器に付けられている。阿寒のシュンクシタカラ遺跡、余市フゴッペ洞窟の上層、胆振のアヨロ遺跡、積丹の発足(はつたり)遺跡、函館の汐泊遺跡など、北大式の遺跡が発見され、更に本州の青森県や秋田、岩手各県からも出土例が報告されるようになった。
 これらの遺跡から出土した土器群はいずれも前記の内面の突瘤文があって、深鉢形か甕形の器形である。それらの文様は、微隆起線文や帯状縄文のあるもの、単節の斜行縄文と沈線文のもの、山形・格子状沈線のもの、無文のものに分けられ、遺跡によって特徴がある。
 この特徴ある土器形式が、全道的に出土するようになっただけでなく、本州の東北地方にまで分布することから、続縄文文化の終末の形式として研究されるようになった。この北大式土器と呼ばれている土器群を調ぺると、いくつかの形式に細分され、それが遺跡単位によって前述のように特徴がある。特色ある突瘤文は、すでに述ぺた江別式土器にみられないので、その源流をカムチャツカや北方ユーラシアに求める傾向もあるが、いまのところ江別文化の次に北大式の文化があったということ以外はわかっていない。函館では、汐泊川流域の汐泊遺跡で出土している。
 汐泊遺跡の土器は、刺突による突瘤文の甕形土器と北海道の土師器(はじき)が伴っている。土師器は前述したように古墳時代に生産された土器で、古墳時代と共に広まって行ったが、北海道には古墳時代の終わりになってから渡島半島や石狩などの道央部に渡来し、その年代は8世紀ごろと考えられている。汐泊遺跡の突瘤文の土器は、器面に擦痕があって、器形調整の手法は土師器の手法であり、肩部にわずかに段状の沈線が入っている。これと伴出の土師器は坏(つき)形で、腹部に段状の沈線があり、東北地方北部や北海道で発見される土師器の古い形式である。函館ではこのほかに古い形式の土師器が湯川や銭亀沢で発見されているが、これらと比べて焼成に違いがあり、黒ずんでいる。汐泊遺跡のように無文で北大式の要素を持った土器は、アヨロ遺跡などで出土しているが、名取武光らは擦文Aとして擦文土器のグループとして考えている。
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